呪われた従軍歌集(9/10)
次は、戦争遂行に関しての考え方と時局への対応について見ておきたい。渡辺直己を例外として、小泉苳三、宮柊二、土屋文明らは皆、戦争を決意した天皇の詔を尊び、皇軍を讃える歌をいくつも詠んでいる。ただ、それを正直に歌集に入れたのが、苳三であった。柊二、文明は、従軍歌集には載せなかった。戦後の刊行であったのでそれができた。
小泉苳三は、『山西前線』発行後に、「現実的新抒情主義と短歌の方向―従軍より帰りて―」(「ポトナム」昭和十四年八月号)という一文を書いた。次のような箇所がある。
今日及び将来に於いてわが国の文化の基調
をなすであろうと考えられる全体主義は、
決して、単純なる個人主義の反動たるもの
ではなく、それの長所の内に保持する、よ
り高次なる全体主義たるべきであり、個人
の「我の自覚」を拒否するものにあらずし
て、却って、一層国民の自覚を促し、国民
の協力を俟つところのものでなければならない。
そして、戦後に発表した『これからの短歌の味ひ方作り方』(昭和二十二年四月、白楊社)では、次のように主張する。
・・・世界の情勢に対する冷静な観察と厳
格な批判とを欠いて国を挙げてひとりよが
りに陥ってゐたうらには、国民の一人一人
にかうしたあまさがあったともいへよう。
・・・世界の現実を正しく見る眼、日本
の現実を正しく批判する眼が、今日は短歌
にとっても何より必要なのである。・・・
第二芸術論を意識した考え方で、人を説得する口調だが、何故戦争
中に自らできなかったか? 反省すべきは、小泉自身のはず。