天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

呪われた従軍歌集(10/10)

 以上を要するに、小泉苳三は歌論を時流に整合させようと苦心し

た。彼の「現実的新抒情主義」は、『山西前線』の最後、「聖戦」と

いう次の一連五首に結実していると思われる。

  つはものが生命衂(ちぬ)れる大陸の山河の上に月青く照る

  大陸の野に山に生命過行ける兵を憶へばありがてなくに

  現身(うつしみ)は滅びゆきつつ窮みなき大き生命のなかに生(あ)れ継ぐ

  死にゆける兵の生命は永劫(えいごふ)に大き亜細亜の血潮のなかに

  東亜の民族ここに闘へりふたたびかかる戦(いくさ)なからし

 終戦後、これが苳三に災いした。特に最後の一首が、中国を戦力

的に無力化することを強調した歌として、当局は昭和二十一年十月

二十六日、公職追放に処した。歌人では唯一人、戦争責任を問われ

たのだ。五首をよく読めば明らかだが、戦争を肯定するのでなく、

両国の多くの将兵が生命を散らした戦が尊い、という意味である。

このような戦争が、再びあってはならない、という祈りであった。

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大陸