天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わが歌集・平成五年「上昇気流」

  北海の怒涛逆巻く河口には鮭の大群寄せてひしめく

  うちつれて上昇気流に舞ふ鶴のやがて越えゆくヒマラヤの峰

 

              鎌倉へ   七首

  広重の絵に描かれしと碑に謳ふ花の盛りの松並木跡

  鏑矢をすべて当てたる太鼓打つ返す馬上に射手の碧き目

  駆け込みの寺の昔は忘れよと艶競ひたる花菖蒲かな

  五月雨のきざはし登る緋の袴おみくじ渡す手のふくよかに

  向ひ合ふ女子学生の白き歯のこぼれる窓辺秋の江ノ電

  風なくて散る黄葉の激しきに仰げば静か御仏の顔

  木隠れを透かして見れば日蓮の「明日佐渡へまかる」文のやさしき

 

  顔なじみソファにくつろぐ小春日の老人福祉すこやかセンター

  朱き芽をにこ毛に隠す猫柳湖面の風のいまだ冷たし

 

             冬のコーラス   五首

  電話鳴り妻の手術日告ぐる声丹沢山塊とほく黒ずむ

  浪人の息子も囲むすき焼きに明日入院の妻を励ます

  入院の妻をかばひて通勤のバスに乗り込む師走国道

  相部屋の入院ベッドに妻残し会社へ急ぐ木枯しの中

  開腹に立ち会ふ我は祈りつつ窓越しに見る妻の昏睡

 

  高千穂の峯の夜神楽子供等に伝ふ太鼓の撥はね躍る

 

       生業   五首

  竹蜻蛉大工稼業の手すさびに子等とすごさむ残り人生

  触太鼓勝負を裁きて五十年巡業の日々つひに終りぬ

  保津峡のしぶきをかぶる四十年梶握る手の滑らかきかな

  こぼれ繭紡ぎし糸の綾なせる錦輝く個展会場

  出稼ぎの老後夢みて建てし家守るは妻と子等と母

 

  最果ての雪に埋るる寒立馬腹太りきて春は間近き

  牝のラマ常陸の国に年古りて故郷アンデスを夢見て眠る

  ラーメンのわかめの香りほめている老いの寂しさ駅のスタンド

  うつ向きて歩く路上の街路樹の影より離る落葉一枚

 

        鳥   四首

  胸反らし翼広げる白鳥を映す水面や穂高を臨む

  晩秋の植林深く分け入れば山雀渡る声のみぞして

  秋雨に釣糸垂れゐる多摩川の中州におり来る白鷺の二羽

  朝まだき初音求めて雪残る山路にマイク傾けてをり

 

  生温き風に混じりて雨来たりネオン息づく出稼ぎの街

  なつかしき声とび交ひて花曇る空に今年も燕飛来す

  匂ひ立つ杉の切株春の陽の青みて霞む林道をゆく

  窓辺さす春の朝日のまぶしくて本を閉ざせり目蓋閉ざせり

 

         海辺   五首

  古代より続く波音聞いてゐる冬の浜辺の男と女

  冬くれば若き血潮のなほ燃えてサーフボードは大波を待つ

  白波の寄る砂浜の風紋を破りて出づる黒き手袋

  阿仏尼の住まひし庵にたたずめば眼下はるけき由比ガ浜

  寄する波避けては走る砂浜の乙女らの声春風にのる

 

  明けくれば囁きはじむ睡蓮の青きニンフェアカレルレア

  手向け花路傍に見つつアクセルをふかすバイクのヘアピンカーブ

 

      ガラパゴス諸島   五首

  ガラパゴス霧立ちこむる草原に象亀集ふ繁殖の時

  赤道の真下に住まふペンギンの祖先はるけしペルー海流

  海流の出会ふ海域雲のごとイサキ大群ゆらめき育つ

  入江ありマングローブの水底を重なり進むえひの編隊

  孤島なる岩に群れゐるイグアナの瞳は暗し塑像集団

 

  夜遅きラウンドテーブル風船をつなぎをさな児スープをすする

  北上の水田の靄につつまれし釜石線銀河鉄道

 

        輝きて   五首

  透析の命続かばカンバスの桜島山黒煙を噴く

  書を習ふリハビリの手の定まりて水茎の跡西行の歌

  月二回嫁ぎし娘の住む町へ魚商ふも老いの楽しみ

  桜木の若木を植うる桜守彼の世にて見ん花の盛りを

  暗き空画布に見たつる花火師のテーマは「菜の花蝶の舞ふ時」

 

  汗かきて旅より帰るカメラマン撮影機器の重き一式

  払へどもつき来る蚋(ぶよ)のうるさきに今日一日の疲れ噴き出づ

  練習の甲斐なくギター一弦の狂ひしままに曲は終りぬ

  盲目に生れし幼子民謡を聞きつつ育ち三味の手覚ゆ

  父母も妹も聞く会場に響けこの音津軽三味線

 

       神も仏も   五首

  室生寺の五重の塔に願かけし女人高野の大き石楠花

  千年をながらふ薬師三尊を大気汚染の霧が蝕む

  末法の世ははじまれり拝むとも願ふは我のやすらぎをのみ

  夜の闇人目忍びて願かくる社殿に置きし藁忍び駒

  乳房(ちちふさ)の若き御肌に琵琶を抱く若葉明りの裸弁天

 

  珈琲の朝の香りに浸りつつ妻はさくさくセロリを食めり

  湿原のウルム氷期を生きのびし北山椒魚姿をさなき

  四万十(しまんと)の夜の水底赤目魚ボラを襲ひてその目の光る

  御仏は灼熱の国天竺にびんろうじゅの風沙羅双樹の花

  ひび割れしスピーカー音海原に海豚ジャンプの飛沫たちたり

  御仏は灼熱の国天竺に檳榔樹(びんらうじゆ)の風沙羅双樹の花

 

        鵠沼界隈   五首

  江ノ島を望む片瀬の山頂に犬を飼ひたる家建ち並ぶ

  川幅の広がりくればもやひたるクルーザ多き鵠沼あたり

  日曜もいつもと同じカーテンを閉ざせる窓の脳神経外科

  打ち返す球に力はなけれどもコートの空の懐かしきかな

  青澱む水面に映る雲の下白銀の鯉静もりゐたり

 

  もの食ひて広場に座る黒人の女が誘ふトランプ占ひ

  売られゆく豚とひと日を過しけり貧しき島の少年の影

 

       北米を飛ぶ   六首

  ブロンドのスチュアデス来る衆目を集めてまぶし制服の胸

  看板の朽ちし通りは留学の心癒せしリトルトウキョウ

  枯野ゆく自動車道路一本のカリフォルニアは果てしなき青

  赤茹のおほき鋏のロブスター、クルージングのランチ賑ふ

  潮風の匂ひかすかにランウェイを夏の朝日に真向ひて飛ぶ

  飛行機の降りゆく下の闇の国光の川の流れてゐたり

 

  幼子の声聞きつけて幼子が寄りくる機内夏のバカンス

  姥捨ての月は哀しも今宵また老母背負ひて男が登る

  マハラジャは「風の宮殿」建てにけり風を見たいといふ妻のため

  蝶の舞ふ野辺山高原燦燦と電波を浴びて宇宙を語る

  カラハリの砂漠に消ゆる大河あり魚はいづこに隠れゆくやら

  蝉時雨降りくる坂に落ちてゐし旧東海道の松ぼつくり

  数百年経し木材のしなやかに音美しきストラディバリウス

  荒川の広き流れのまさやけく野鳥の集ふ秋ケ瀬の原

  恐龍の血を吸ひし蚊を閉ぢ込めし琥珀見つむる遺伝子学者

  広場にはいまだ人影現れず朝のサーカステントの眠り

  十一年前に知り合うモモンガは今年も春を山小屋に待つ

  洪水の退きし川岸どすどすと古代の象の足跡続く

  土掘れば翼(よく)の化石の白亜層ズンガリプテルス墜落の沼

  スカーフを古代弥生の色に染むる遺跡に咲きし紫の蓮

  黒潮の寄する浜辺に鮫を裂き塩を擦り込む黒き人々

  火の神を崇めて暮らす阿蘇の村地球は赤き舌を見せたり

 

鏑矢