天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わが歌集・平成二十二年「シロフクロウ」

  つれあひを亡くしし雄のシロフクロウわが口笛にふり向きにけり

  ひさびさに身内親戚集まれば育毛剤も話題にのぼる

 

     冬隣   八首

  赤い羽根共同募金のコンコース女子高生にわが胸の寄る

  あたたかき日差好めるエゴ、サクラ、コナラ、クヌギは陽樹なりけり

  日の弱き森にも生うるクス、アオキ、シイ、ブナ、カシは陰樹なりけり

  涌く水の谷戸の草地に色あはくつり舟草の咲きのこりたる

  枝打の終りし杉の木立には日の斑やどりてヒヨドリの声

  蜘蛛の囲にかかりて終へし虫の生そのなきがらが朝の陽に揺る

  秋ふかみ鉄路に沿へるゑのころは風にふかれて赤さびにけり

  葉の落ちて実のあらはなる柿の木に大き目玉の風船が垂る

 

  山道に寝そべる蛇は知らぬ顔落葉にひとり地団駄を踏む

  胸に五円膝(ひざ)に七円頭(づ)に十円ほほゑむ石の出世観音

  朝日さす青菜畑に鶺鴒の跳びあるく見ゆその白き胸

  水仙も菜の花も咲く吾妻山師走の海の風寒からず

  建立は明治二拾三年の石の鳥居に銀杏ちるなり

 

     逍遥   八首

  水音のほたるの里のお知らせは「マムシに注意」「落石注意」

  空堀にたまれる昨夜(きそ)の雨水に身を清めたり朝のひよどり

  さまざまの小鳥の声をとどめたり白秋童謡館の庭先 

  潮風に花弁白くひかりたり虫引き寄する浜菊の花

  さはがしき電車の音にかさなりて山のふもとの梵鐘の音

  強風に吹かれて立てる鉄塔の心もとなき螺旋階段

  港内のあまたのブイのそれぞれにウミウとまりて風上に向く

  電線の画せる空にほの白く浮世離れの富士の嶺見ゆ

 

  釣られきて生簀にあるもやるせなし口尖らする皮剥の群れ

  アメリカと事構へてはならじとふ言葉遺して真之逝けり

 

     人物像   八首

  博文に安重根が発射せし銃弾を見る拡大鏡

  博文のシヤツにひろがる血痕はかくも小さき銃弾による

  十ミリに満たぬ小さき弾丸にその生終へしハルピンの駅

  紅葉を映せる池の底ひにはま白き鯉の沈みあぎとふ

  細長き三日月かかる兜鉢伊達正宗の頭を覆ひける

  政宗の腰に巻かれし白綾地鶴印金帯少し黄ばめる 

  傷みたる支倉常長肖像の下に古びしクルスとメダイ

  たのもしき面構へなり今の世にわがあこがるる支倉常長 

 

  満ち潮の寄る岩礁にひとり釣る迎への舟はいまだ見えねば

  拘置所を囲める塀に沿ひてゆく春来りなば桜咲く道

  この内のいづこにかある処刑場足音聞けば肌へ粟立つ

 

     早春賦   八首

  さへづりもDNAにて決まるらむウグイス亜科の冬の笹鳴き

  裏山の土牢七百年を経て補強工事の格子新し

  ぬばたまの大黒天の御朱印を受けてうれしき長谷寺の春

  左義長の炎いくつも立ち昇り漁火かすむこゆるぎの浜

  大木にからみ巻きつき這ひのぼる太き木蔦をうらやむ我は

  大鋸屑(おがくづ)を敷きて古りにし参道は足裏(あうら)にやさし朝の木洩れ日

  遠目には冬枯れの村下曽我は近づくほどに梅咲けり見ゆ

  目白きてデジタルカメラの視野に入る熱海桜の爛漫の中

 

  ワラジムシ、ミミズ、トビムシ、ササラダニ落葉を食(は)みて日々を暮せる

  春節の店先に積むうす紅き石と凝りたるチベットの塩

  翡翠の臙脂の胸毛そよがせて風わたるなり枯葦の池

 

     三寒四温   八首

  バスを待ち大路の春を疑へり弥生七日の風の寒さよ

  橋桁のレールをすべる箱に乗り片瀬の山をわが越えゆけり

  それぞれの岩にウの鳥佇めど風さむければ羽根ひろげ得ず

  エコポイントと交換したる商品券 デパ地下に買ふカツ、五目(ごもく)めし

  禰宜(ねぎ)たちの眠りをやぶる大おんじやう大き銀杏はいのち終へたり

  鍵を売るドロボウ対策専門店鍵解く技(わざ)も知りつくしたれ

  はくれんの花ちる池の底ひには濁れる色のうごめくが見ゆ

  ザリガニは居るかと足をふみ鳴らす小栗判官眼洗之池

 

  鳴り出づる神楽太鼓に祖父(おほちち)の膝に揺らぎし昔おもほゆ

  鉄とびら窓のシャッター閉されて象舎の庭に青草の生ふ

  すがた見ぬ象のウメ子の消息を知りてさしぐむインターネット

  完食ののちの熟寢(うまい)のそのままに象のウメ子はあかつきを逝く

  今年咲く桜は見ずに逝きにけり還暦すぎし象のウメ子は

 

     本郷キャンパス   八首

  ひさびさに来し本郷に迷ひたり大学までを老人に聞く

  赤門を入れば医学部杢太郎、鴎外、茂吉ら学びしところ

  物理学教室出でて寅彦がしまし憩ひし三四郎

  医の道に貢献大と銅像の青山胤通、佐藤三吉

  楷の木のひとつほそぼそ立てりけり小柴昌俊受賞記念樹

  ノーベル賞受賞記念の楷の木はいまだ幼く支へられたり

  原寸大ペンシルロケットの模型ありアクリル樹脂の透明な箱

  瀟洒なる銅像としてコンドルは建築学科の庭に立ちたり

 

  瓦置く竹林の土もちあげて今朝力あり竹の子の群

  ちる花の桜の下に並べたりこけしや根付、グラスのたぐひ

  いつ誰が着しとも分かぬ古着類ひろげて売ればあはれなつかし

  研ぎ出せば十分切れる包丁の錆びたるがあり一本百円

  町にては不要になりし斧、玄翁 田舎人なら買ひもとむらむ

 

     五月の頃   八首

  幹に彫りし落書きの字も年ふりてなんじやもんじやの木は太りたり

  千年のいのち受け継ぐ遺伝子の新芽出でたりいちやう根株に

  次々に衣ぬぎゆく竹の子を迦陵頻伽は腹這ひて見る

  古りてなほ姿勢くづさぬ印塔は五郎入道正宗の墓

  森林の保護に寄与せむipad ペーパーレスの小説あはれ

  観山の押印見ゆる掛軸は三すぢ垂れたる白藤の花

  園児らが手をふる空の電線を工夫三人すべりつつ行く

  山ふかみとほき世のこと語るらくかそけき声の仏法僧は

 

  天駈けて来しつばめらをひき留むるみどりまぶしき山間の村

   風の音の遠きむかしに限りなく素数はありと君は示せり

  素の数を順に見つけよそのかみのエラトステネスの篩(ふるひ)もちひて

  刑務所に縁はなけれど受刑者の作業になりし家具を見に行く

  どくだみや小判草など寄りつける白のまぶしき刑務所の塀

 

     梅雨に入る   八首

  エンジンを止めて帆を張るヨット見ゆ風をはらみて滑り出だせり

  帆柱のヨットまぶしむ入江には風になびかふ浜茄子の花

  いつよりか水を通さず捨てられし土管の中に十字科の花

  街川の橋のパイプに今年もやチョウゲンボウが子をはぐくめり

  あてもなく浜に坐りて海を見るわれをかなしめ沖の釣舟

  五位鷺が木末にとまり見下ろせる鰻棲む池浜松あたり

  膝までを水に浸してしじみ採るむぎわら帽子の川汽水域

  ふもとまで湿舌垂らしくらぐらと富士を隠せる梅雨のあまぐも

 

  突堤に坐りて釣れる時の間を医者にかかりしことも話せり

 

     梅雨明け   十首

  受刑者の作業になりし本棚の安からざれば見て触るるのみ

  建物も塀も配置は相似たり東京、横浜 刑務所はあり

  女らが駆け込みしとふ寺に咲く羊殺しのカルミアの花

  無患子(むくろじ)の小花ちらせる蜂群の羽音すさまじブブゼラを吹く

  葬送の場所ともなりし化粧(けはひ)坂(さか)水したたりて岩たばこ咲く

  葉桜の根方に置かれ主(あるじ)待つあぢさゐ色のハンカチひとつ

  うぐひすの声ひびかへる谷戸の朝定家かづらは白き花咲く

  啄木鳥の音なつかしき森をきて毒(どく)茸(たけ)に会ふ傘のくれなゐ

  遠かすむ富士の高嶺にひとすぢの残雪なだれ梅雨明けにけり

  洪鐘(おほがね)の粒なす肌にじんじんとしみ透るなり松蝉の声

 

     炎暑   八首

  朝空にほどけてゆけるひと筋の白雲の先光るものあり

  8の字に茅の輪くぐりて辺津宮の鏡に祈る猛暑の無事を

  咲き満ちてこの世見しかば時いたり槿(むくげ)の花は閉ぢてちるなり

  岩なめて殻つよくせるまひまひが蓋してこもる炎暑の葉蔭 

  虎の尾の消えにし藪に咲き出づる弟切草の小さき黄の花 

  この道にステッキつきて出でにけむ焼け跡として旧吉田邸 

  陰嚢(いんなう)のごときが垂れて虫を待つうつぼかづらの赤き葉脈

  みち潮にのりて寄せ来る秋鯖を釣りては裂けり島の岩場に

 

  みそはぎの淡きくれなゐ風に揺れ田の面にひびく牛蛙のこゑ

  夏去りて風立つ朝は無患子(むくろじ)の青き実がちる里山の道

 

     数の世界(一)   八首

  わが夢に出できて眠り浅くするリーマン予想ゼータ関数

  名にし負ふ素数なりけり自然数すべて素数の積になるとは

  わかくさの2より大きな偶数はすべて二つの素数の和なり

  素の数の逆数の和は発散すその証明はオイラーによる

  わかりやすき問題なればのめり込み精神を病む素数の世界

  「2つ違ひの素数の組は無限なり」いまだ解けざる予想のひとつ

  驚くべし 素数分布の法則は宇宙創生の理(ことはり)をなす

  年とりて単純好む性(さが)ゆゑに素数にむかふわが残生は

 

     あの夏のこと   三十首

  閉ぢこもり汗拭き追ひし数式は人狂はするリーマン予想

  数論の演習としてこころみるEXCELで解く素数分解

  自然数素数の積に かしのみの一通りなりその分解は

  自然数nと2nの間には素数があるとチェビチェフ言へり

  コンピュータまはして求む素数はや五千万個を越えしと伝ふ

  究極の宇宙の原理あるらしも素数から見る量子力学

  ミレニアム問題として解決にあはれ百万ドルの賞金

  新しき工夫の理解されざれば耐へて病みにきゴッホセザンヌ

  キュビズムの先駆けなりしセザンヌ静物をどる多視点画法

  想像にゆだぬるところ残しおく未完ならざる余白の技法

  遠けれどうるはしければ近く描くヴィクトワール山いくたびも描く

  童謡のレコードかけし蓄音器晋平旧居の小部屋に見たり

  晋平が使ひしカップ見つつ聞く〞いのち短し恋せよ少女〟

  さるすべりうすくれなゐの花ちりてビデオがうたふ「カチューシャの唄」

  作曲に使ひしピアノ汗じみてRohler&Chase NewYork の銘

  人住まぬ森の木の葉にとまりゐて誰を威嚇すジンメンカメムシ

  夏くれば森の昆虫ざはめきて命をつなぐオス、メスの性

  人間に理解しがたき擬態あり過剰進化のツノゼミといふ

  木にとまりオオトビナナフシ枝になる尻尾は蛇が口開くかたち

  はばたけば青うつくしきモルフォ蝶夢追ひかくるラ・セルバの森

  をさな等のチアダンスを撮らむとし制止されたり女教師に

  砂浜に白き貝殻ひろふ子の背に容赦なく射す紫外線

  足首にからまりきたる藻を蹴りてをさな児入るる浮輪にすがる

  うなゐ子を輪にひき入れて盆をどり見やう見まねに炭坑節を

  うつ伏せにまた仰向けに寝ころびて爆睡したり姉と弟

  「藤沢宿」「遊」「行」「の」「盆」のちやうちんが清浄光寺の総門に垂る

  8の字に茅の輪くぐりて辺津宮の鏡に祈る猛暑の無事を

  ストライク見のがしボール球を打つ職人芸がイチローにあり

  イチローの十年連続二百本の安打あやぶむ秋立ちにけり

  金網にかけて去りにしカップルのその後は知らず錆びし錠前

 

シロフクロウ