天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

食う・飲むを詠む(2/6)

  わが盛りいたく降(くた)ちぬ雲に飛ぶ薬はむともまた変若(をち)めやも
                   万葉集大伴旅人
  柵越(くへご)しに麦食む小馬のはつはつに相見し子らしあやに愛(かな)しも
                     万葉集・東歌
  うつたへに鳥は喫(は)まねど縄(しめ)延(は)へて守(も)らまく欲しき

  梅の花かも             万葉集・作者未詳


  たのしみはつねに好める焼豆腐うまく烹(に)たてて食(くわ)せけるとき
                       橘 曙覧
  たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物をくふ時
                       橘 曙覧
  あさなゆふな食ひつつ心楽しかり信濃のわらびみちのくの蕨
                       斎藤茂吉
  栂(つが)の葉にこほりて硬(かた)き朝あけの雪をしみじみわが食みにけり
                       前田夕暮
  ねぎま汁吹き吹き食へば涙いづ職を得し子もさかんにくらふ
                      長谷川銀作

 大伴旅人の歌: 老の心境を詠んでいる。大宰府に来てすぐに妻を亡くしており、長屋王の変で自害した長屋王に近い立場にもあったため、心労が積もっていた時期であったのだろう。一首の意味は明らか。「私の盛りの時は過ぎてしまった。雲の上を飛べるような仙薬を飲んだとしても若返ることはできないだろう。」
 東歌: 「はつはつに」・・ほんの少し、 「あやに」・・奇妙なほどに。  一首の意味は、
「柵越しに首を伸ばして麦の穂を食べる子馬のように、やっとの思いでほんの少しの間逢えたあの娘があやしいくらいに愛しくなってしまったよ。」
 三首目: 「うつたへに」は、いちずに。むやみに。 一首の意味は、「鳥が啄むわけではないけれど 、しめ縄を張ってでも守りたい私の大事な梅の花だよ(あなたは)。」
 橘曙覧は、江戸末期の勤王の歌人国学者。「たのしみは」で始まる一連の歌集「独楽吟」(全部で52首)が有名。

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栂(つが)

食う・飲むを詠む(1/6)

 「食(く)う」には、食(た)べる、食(は)む などの変形がある。「はむ」は歯の動作の動詞形。他方、「飲む」は「のど(喉、飲門)」の同根語。

  青柳梅との花を折りかざし飲みての後は散りぬともよし
                    万葉集・笠沙弥
  馬酔木なす栄えし君が掘りし井の石井(いはゐ)の水は飲めど飽かぬかも
                   万葉集・作者未詳
  毎年(としのは)に春の来らば斯くしこそ梅を挿頭(かざ)して楽しく飲まめ
                  万葉集・野氏宿奈麿
  酒圷(さかづき)に梅の花浮け思ふどち飲みての後は散りぬともよし
                   万葉集坂上郎女
  居(お)り明(あか)しも今宵は飲まむ霍公鳥明けむ朝は鳴き渡らむそ
                   万葉集大伴家持
  わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影(かご)さへ見えて世に忘られず
                  万葉集・若倭部身麿

 笠沙弥は、俗名を笠朝臣麻呂といった。行政官として業績をあげたが、後に出家。大宰帥大伴旅人らと交わり,人間味豊かな作品を詠んだ(万葉集に短歌7首)。
 二首目: 「馬酔木なす」は「栄える」を導く枕詞。「石井」は、筒の部分が石でできた井戸。
歌の意味は、「栄えたあなた様が掘られた石井の水は、いくら飲んでも飽きないものですね。」
 坂上郎女の歌: 「酒杯に梅の花を浮かべ、友達同士で飲んだ後は、梅の花が散ってしまってもいい。」とは。こんな女性と飲みたくなる内容である。
 大伴家持の歌: 「徹夜で今夜は飲みましょう。徹夜で飲んだその翌日には霍公鳥(ほととぎす)が鳴くことでしょう」とは、なんとも豪快というか、風流な内容である。
 若倭部身麿の歌: 題詞には、「天平勝宝7年2月6日、交替で筑紫に遣わされる諸國の防人らの歌」とある。「私の妻は、とても私のことを恋しがっているようです。飲む水に妻の影さえ映って、忘れられないのです。」防人の役目についている兵士の気持が、巧みに詠まれていてせつない。

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霍公鳥(ほととぎす)

 

俳句を詞書とする短歌(9/9)

あとがき
 岡井隆の場合、詞書や注釈にも作品として主要な役割を与える方向に展開したようである。その究極の姿が、高見順賞を受賞した詩集『注釈する者』(2009年刊)であろう。俳句あり、短歌あり、鑑賞や注釈が散文詩の形式をとる。
 藤原龍一郎は、俳句に脇句を付けて短歌(短連歌)にする試みをしている。歌集『ジャダ』にある「東京低廻集」―俳句からの変奏曲― がそれである。俳句は、藤原月彦として作った作品。短歌の形で十八首ある。連句の歌仙ともなっているようだ。
 このようなジャンルを広げる文芸作品が今後も活発になることを期待したい。

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詩集『注釈する者』(思潮社

俳句を詞書とする短歌(8/9)

『ジャダ』―鬱王― から四作品を。
藤原によれば、「鬱王」一連は、赤尾兜子の俳句作品に対する反歌であるという。つまり短歌の部分は、俳句の意を反復・補足し、または要約する働きをする。更には、兜子への心寄せであり、俳句作品へのオマージュでもある。なお、藤原は若い頃に赤尾兜子に師事して前衛俳句を学んでおり、藤原月彦の名で『貴腐』という句集を出している。
  雲とも素ともならぬもずくを煮る男   兜子
  詩に痩せる男であれば瓦斯の火の蒼さも虚実皮膜と思え
俳句は、どうにもならないテーマに頑なに拘っている作家の姿を象徴しているようだ。短歌の方の虚実皮膜とは、芸は実と虚の境の微妙なところにあること。事実と虚構との微妙な境界に芸術の真実があるとする論。詩作に痩せるほどの努力をしている男であるので、瓦斯の火の蒼さにも虚実皮膜を思え、と激励している。
  去来忌の抱きて小さき膝がしら     兜子
  蛇の屍と虚像の影と孤立する詩魂に拠りて韻文の謎
嵯峨野落柿舎の裏の「去来」とだけ彫られた30センチほどの小さな石が、去来の墓である。俳句の「抱きて小さき膝がしら」は、兜子自身の姿である。歌の方は、『蛇』、『虚像』という句集を出した兜子の詩魂を讃え、その韻文の不思議さに言及している。
  死顔に捧ぐ寒花の赤を憎むわれ     兜子
  若き獅子死に急ぎたり前衛の虚妄を撃ちて生き急ぎたり
短歌は、死顔の主を、前衛の虚妄を果敢に突いて若死にした作家に想定したもの。三十一歳で1973年12月16日に急逝した中谷寛章のことではないか。赤尾兜子の元で「渦」の編集長をしていた。兜子の句の意は自ずと明らか。
  大雷雨鬱王と會うあさの夢       兜子
  鬱王に魅せられしゆえ恍惚と苦痛と俳句思う泪と
兜子は鬱病に苦しみ自死したといわれている。それ故か兜子の忌日を鬱王忌と呼ぶ。俳句は、兜子の或る日の情景であり、歌はそうした俳人の心境と生活を思い遣っている。

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藤原龍一郎歌集(砂子屋書房

俳句を詞書とする短歌(7/9)

藤原龍一郎の場合
 岡井の例でも分るように、詞書にとる俳句には、他の俳人のものをもってくる場合と、自身の作品をもってくる場合とある。前者の徹底した例が藤原龍一郎の歌集にある。『楽園』(2006年刊)では、三橋敏雄の十句集から、全部で百句取り上げて、それぞれに短歌を当てているし、『ジャダ』(2009年刊)においては、林田紀音夫、戸板康二赤尾兜子 等の句集からとって二十作品にしている。以下では、それぞれから作品例を取りあげて、俳句と短歌の交響をみてゆく。
『楽園』の鎮魂歌―三橋敏雄句集『眞神』から三作品を。
  昭和衰へ馬の音する夕かな   三橋敏雄
  衰弱ののちの頽廃そののちのノイズは玉音放送ナルゾ!
俳句を、敗戦間近の昭和日本の情況に思いを馳せたと読むか東京オリンピック開催時の高度成長期に入った昭和日本の行末を危ぶんでいると読むか。歌の下句からは前者と解釈したように感じられる。
  冬帽や若き戦場埋れたり    三橋敏雄
  戦場に数限りなき冬帽子飛び交いルサンチマンを放つよ
俳句は酷寒の地で戦死した青年たちをはるかに悼んでいるが、短歌はその戦場に立ち帰り、怨恨・憎悪・嫉妬に駆られて戦う無数の敵味方の惨状をイメージする。
  絶滅のかの狼を連れ歩く    三橋敏雄
  ジェノサイドこそ至福なれ狼もコロポックルも貴種流離せよ
日本狼は明治三十八年に東吉野で捕えられた雄を最後に全滅したという。俳句はそんな狼に心を寄せて蘇りを夢想している。短歌では滅んだ原因が集団殺戮にあるとし、それをむしろ至福と捉え、アイヌ伝説のコロポックルと共に貴種流離譚にあるように復活せよと呼びかけている。ちなみに東吉野村の大又川にかかる七滝八壷の入口に句碑がある。

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『楽園』(角川書店

 

俳句を詞書とする短歌(6/9)

 歌集『X――述懐スル私』(2010年刊)「夏越なごめど」一連から。学者の言葉や俳諧を詞書としている。以下では、俳諧の場合を取りあげる。大変難しいシンフォニーである。
  市中(いちなか)は物のにほひや夏の月 (凡兆)
  はいつて来る奴の死角につねに立つ訓練がつづく午後いつぱいを
凡兆の発句は、分かり易い。夏の夕方、市中のそこここで夕食の支度やそのための食材を売る匂いがしていて、空には月が浮んでいる。片や短歌の方は、多分部屋か町の一角に入ってくる敵の目にはつかない場所(死角)に、常に立つような訓練を午後一杯している、と詠んでいる。これら二つが合わさるとどういう情景を想像するか?戦後なおテロ活動が絶えないアフガニスタンイラクの都市を思う。夏の月が出ている空の下、バザールでは食べ物の匂いが漂ってくる。だが、いつ敵の標的にされるか分からない。警備の立場にせよ、逆にテロリストの立場にせよ、敵の位置を想定して敵から見えない死角に立つことが戦闘に勝つために必須なのだ。
  あつしあつしと門(かど)かどの声  (芭蕉
  植ゑられるものを臓器と呼びたくはない磯波(いそなみ)の洗ふ血の藻の
岡井の歌は、臓器移植をテーマにしている。人工臓器もあろうが、磯波に洗われる血の色の海藻が臓器をメージする。上句は、外から移植するものは臓器と呼びたくない、という岡井の思いであろう。世界中で流行している臓器移植の状況に対する反感である。ここで芭蕉の句「あつしあつし」に繋がる。暑い暑いと言いながら町家の門口で夕涼みしている情景を、過熱気味の臓器移植に対する思いに転換したのである。

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『X――述懐スル私』(短歌新聞社

俳句を詞書とする短歌(5/9)

 歌集『馴鹿時代今か来向かふ』(2004年刊)「葦のむかうに」一連から。詞書として岡井自身(隆)の俳句を付ける。
  クローンの子孫さびしき花曇り  (隆)
  倫理への従順がむしろ新しくみえる未受精卵・核移植
未受精卵から核移植によりクローンを作る研究が盛んになっている現状では、それに反対して倫理に従順であろうとする態度が、かえって新鮮にみえる。クローンの子孫にしてみれば、寂しい花曇りの季節になった、という響き合い。
  旧友Y 行方知らえず 藤の花  (隆)
  方位感乱るる路面電車かな岐阜に溺愛の友を訪ねて
句では、藤の花咲く季節に行方の知れなかった旧友Yが、歌では、岐阜にいることが分り、訪ねようとしている。それにしてもこの路面電車、どっちの方向に走っているのか分らない。 

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『馴鹿時代今か来向かふ』(砂子屋書房