天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

時の移ろいー朝・昼・晩(2/4)

昼、真昼、白昼、昼下がり
 古代において「る」というのは、「状態」を表す語だった。昼は太陽が空にある間を意味するので、「日」と「る」から「ひる」となった。

  あかねさす昼は物思(も)ひぬばたまの夜はすがらに哭(ね)のみし泣かゆ
                     万葉集中臣宅守
*「明るい昼は昼で物思いにふけり、暗い夜は夜通し声を上げて泣けて
  くるばかり。」
  如何にしてよるの心をなぐさめむ昼はながめにさても暮しつ
                     千載集・和泉式部
  ひる過ぎてくもれる空となりにけり馬おそふ虻(あぶ)は山こえて飛ぶ
                         斎藤茂吉
  草枯の野のへにみつる昼すぎの光の下に動くものなし
                         島木赤彦
  みぎひだり背に寄りつくを負(お)ひ並(な)めて笑ひあふるる真昼の家に
                        伊藤佐千夫
  真昼間の蛍光灯の点滅のオフ・ビートまたオフ・オフ・ビート
                        藤原龍一郎
  さやぐ湖心、白昼の妻、撓(しな)う秀枝、業房に居て思(も)えばかなしき
                         岡井 隆
  天敵をもたぬ妻たち昼下りの茶房に語る舌かわくまで
                         栗木京子

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虻(アブ)

時の移ろいー朝・昼・晩(1/4)

はじめに
 今年の3月26日から5日間にわたって、「時を詠む」を連載したが、そこでは、文字通り「時」を入れた歌をみてきた。本シリーズでは、一日の時の移ろいを朝・昼・晩と区切った時の歌を集めた。それぞれの時刻の自然に感じる我々の感情に関心がある。典型例は清少納言の「枕草子」に見られる。全文の引用は省略するが、
  春はあけぼの。・・夏は夜。・・秋は夕暮れ。・・冬はつとめて。・・
という名調子でよく知られている。
日本語は、時の移ろいの表現でも、他言語には見られない多様性を示す。

朝、明け方、あかつき、あけぼの、しののめ、つとめて
 朝に関わる日本語には、ここにあげたように趣深いものがいくつかある。
あかつき: 夜明け、あけがた。太陽が昇る前の空が少しあかるくなり始める
      頃を指す。「あかとき」が転じた語で、奈良時代には「あかとき」
      と言い、平安時代から「あかつき」が用いられるようになった、
      という。
あけぼの: 夜がほのぼのと明け始める頃。「あけ(明)」と「ほの(ぼの)」での
      語構成。
しののめ: 東の空が明るくなる頃。漢字で「東雲」と書くのは、東の空の意味から
      の当て字。語源は、「篠(しの)の目」。古代の住居では、篠竹の隙間
      (目の部分)から朝の明りが差し込んできた。
つとめて: 早朝。

 

  たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野
                      万葉集・中皇命
*「 たまきはる 」 は「うち(内)」「いのち(命)」「よ(代)」等にかかる枕詞。
 意味は「宇智の大きい野に馬をならべて、朝の猟をしておいでであろう。その草
 深い野に。」

  雲もなくなぎたる朝の我なれやいとはれてのみ世をばへぬらむ
                      古今集紀友則
*「厭はれて」は「いと晴れて(=とても晴れて)」の駄洒落。前半の穏やかさと
 後半の恨み言(ただ嫌われて世を過ごすのだろう)の落差が胸に迫る。

  このままに歩み行きたき思ひかな朝なかぞらに消ゆる雲見つ
                         高安国世
  ありあけのつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし
                     古今集壬生忠岑
*「有明の月が冷ややかでそっけなく見えた女との別れ以来、私には、夜明け前の暁
 ほど憂鬱で辛く感じる時はない。」
  暁となにかいひけむ別るればよひもいとこそわびしかりけれ
                      後撰集紀貫之
  みよし野のたかねの桜ちりにけりあらしも白き春のあけぼの
                    新古今集後鳥羽院
  忘れめやあふひを草にひき結びかりねの野辺の露のあけぼの
                   新古今集式子内親王
葵祭の夜、斎院として式子内親王が潔斎のため籠った日のことである。
  夏の夜のふすかとすれば郭公(ほととぎす)なくひと声に明くるしののめ
                      古今集紀貫之
  横雲の風にわかるるしののめに山飛びこゆるはつ雁のこゑ
                    新古今集西行
  足柄の関路こえゆくしののめにひとむらかすむ浮島が原
                    新勅撰集・藤原良経
*浮島が原は、静岡県沼津市にある。現在は、「浮島ヶ原自然公園」として整備され、
 湿地が保存されている。
  しののめの渚にありてわが母のみ足洗ひゐしを夢と思はず
                        前川佐美雄

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浮島ケ原

水のうた(17/17)

 ここでは、庭潦(にはたづみ)あるいは行潦(にはたづみ)を詠んだ作品をまとめておこう。
「にわたづみ」とは、夕立などが降って庭にたまった水のこと。「流るる」「川」の枕詞になることもある。以下の二首目と五首目が該当する。

  はなはだも降らぬ雨ゆゑにはたづみいたくな行きそ人の知るべく
                      万葉集・作者未詳
*意味は「それほど激しい雨でもないのに、庭の水、そんなにたくさん流れないで。
 人に知られてしまいます。」裏には「頻繁に逢っているわけでもないのに、そんなに
 噂をたてないで。」という気持があるか。
  み立たしの島を見る時にはたづみ流るる涙止めそかねつる
                  万葉集・日並皇子宮の舎人
*「にはたづみ」は「流るる」の枕詞として使われている。一首の意味は明らか
 であるが、舎人たちが詠んだ草壁皇子の死を悼む晩歌のうちの一首。
  世とともに雨降るやどの庭たづみすまぬにかげは見ゆるものかは
                    拾遺集・よみ人しらず
  庭たづみ行方しらぬものおもひにはかなき泡の消えぬべきかな
                     新勅撰集・本院侍従
  人の子の遊ぶを見ればにはたづみ流るる涙とどめかねつも
                            良寛
  夜の程にふりしや雨の庭たづみ落葉をとぢてけさは氷れる
                          上田秋成
  秋雨の庭はさびしも樫の実も落ちて泡だつそのにはたづみ
                          長塚 節
  にはたづみ流れ果てねば竹の葉ゆ陽炎(かげろふ)のぼる日の光さし
                          斎藤茂吉
  ちさきことを幸とすべけむ庭潦(にはたづみ)それに溺れて死ぬ人もなし
                          石川啄木
  にわたずみまばたくと見れば降りており林にいまだ音あらぬ雨
                          高安国世
  朝のしぐれ過ぎし歩廊の行潦(にはたづみ)咲き残りゐるカンナも映す
                          小泉豊
  花の精 時間の精の庭潦(にわたづみ)光明るき藤棚の下
                         道浦母都子
*庭潦をみつめたときの独特な感受性。

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樫の実

[お断り]都合により7日から9日まで、記事を休みます。

水のうた(16/17)

  はるばると野中に見ゆるわすれ水たえまたえまをなげくころかな
                     後拾遺集・大和宣旨
  あづまぢの道の冬草茂りあひて跡だに見えぬ忘れ水かな
                     新古今集康資王
  岩間とぢし氷もけさはとけそめて苔の下水道もとむらむ
                       新古今集西行
  みむろ山谷にや春の立ぬらん雪の下水岩たたくなり
                      千載集・源 国信
*みむろ山(三室山)は、兵庫県中西部宍粟市鳥取県南東部若桜町の境にある山。
 標高 1358m。
  下くぐる水に秋こそ通ふらし掬ぶ泉の手さへ涼しき
                       新千載集・中務
  野に遠く光るは忘れ水ならむ絶ちし望みの蘇るべし
                          来嶋靖生

忘れ水: 野中などを絶え絶えに流れていて、人に忘れられた水。
下水、下くぐる水: 表面にあらわれないで物の下や物蔭を流れる水。秘かに思う比喩
に使われることあり。

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三室山

水のうた(15/17)

  〈自然水〉買ひて巷をあゆむとき西方十万億土赤しも
                      高野公彦
*〈自然水〉はメーカーのつけた名称。「西方十万億土」と言われて読者は、
 広大な西方の宇宙を想像する。そこが夕焼けになっている。
  大きなる鍋のなかにて熱せられふつふつと嗤ひはじめたる水
                     田村美智代
*情景をうまく言いおおせている。
  一息に喉すべりゆく長月のコップ一杯の水のよろこび
                      大崎靖子
*長月と言われてピンとくる現代の読者はどれだけいるだろう。旧暦9月の
 異称なのだが、語源には諸説ある。夜がだんだん長くなる「夜長月」の略と
 する説が最有力という。
  床下の収納庫内に立ちつくし非常時用の飲み水しずか
                      今井恵子
*擬人法が生きている。
  帰りきて飲む水は身を貫けりじんじんとひとりの夜のはじまり
                      雨宮雅子
*水で孤独感がうまく表現されている。
  すれちがひすれちがひきて暁の寒九のみづをのみどに落とす
                      高嶋健一
*寒九とは、寒に入ってから9日目をさす。1月13日ごろ。俳句で冬の季語。
  藻のにほひ強まる夏のゆふぐれに妻はアルプスの水買ひにゆく
                      綾部光芳
*「アルプスの水買ひにゆく」と言われると大変ロマンチックに聞こえる。
 メーカーのCMが効果を発揮しているようだ。

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アルプスの水

水のうた(14/17)

  一杯の水をしんじつ冷たしと飲みゐるときにこの救あり
                      遠山光
*下句の「この救」が何を指すか、この歌だけでは分からない。
  朝明けとなりゆくひかり人をりて硝子器より硝子器に水移しゐる
                     真鍋美恵子
*水を移している人は、屋外にいるようだ。
  夜半ながら起きて一杯の水を飲むある係累を断つ思ひにて
                      佐藤通雅
*下句の「ある係累」が不明だが、重苦しい決断が感じられる。
  壁むこうの家族とのかすかなつながりか蛇口をとおる朝の水音
                      下南拓夫
  口つけて山に水飲む喜びもやうやく無くて我老いほけぬ
                     落合京太郎
  上空ははるかに冷たきみづあらむ水屋にみづを使ひゐるとき
                      人見邦子
*水屋はここでは、台所と思ってよいだろう。
  ゆたかなるものよ壺より平鉢へ移されし水おだやかに澄む
                     山本かね子
*水の柔軟な性質に、人間のあらまほしき性質を重ねているようだ。

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蛇口

水のうた(13/17)

  朝霧の徐々に霽れゆく十和田湖の真水(まみず)の蒼に惹き込まれたり
                      市川定子
  流るればまた美しき冬水のひびかふまでに山は枯れたり
                      水本協一
  濠水の底なる冥き日輪にるいるいとして蝌蚪(くわと)らむらがる
                     杜沢光一郎
  村境をのつたりとゆく春の水さみしき腹を見せて流るる
                      大山節子
*擬人法だが、「さみしき腹」としたところが共感しにくいかも。「のつたりと」
 と合わない。
  水のみが見たりし月もありぬべし朝素甕の水くつがへす
                      築地正子
*くつがえす前の水に思いをはせている点がユニーク。
  とほき日に水より生まれ咎を積むわが体内をめぐるみづあり
                     田村美智代
*体外の水と体内の水とを対比させているが、咎を積んだわが身の内の水は汚れて
 いる、といっているようだ。
  行方なき堀の水にて石垣を打つのみ波はくり返しつつ
                      古田昭子

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蝌蚪