子を詠む(6/6)
すこやかに寝息をたててゐる吾子よ争ふときのやがて到るべし
山中律雄
一つ皿の魚を箸もてほぐし合ふ傍への吾娘も稼ぐ日近し
井田金次郎
父亡くて育ちし吾と母なくて生ひ立つ吾子といづれ寂しき
高橋誠一
抱かれて眠らんとする末の子が吾の胸毛の白さを言ひぬ
宮岡 昇
癒ゆるなき子の行く末を見届けん朽ちてまなこの洞となるとも
稲垣道子
吾子とわれ肩車とふかたちにて魂ふたつ上下にもてり
岩井謙一
柿の木に柿の実われに吾子といふかなしき黒きふたつの頭
中地俊夫
一日の吾子の動作をこまごまと語りゐたるが妻寝息たつ
神作光一
ひよろひよろと一輪車こぐわが子見ゆ木枯吹ける夕べの坂に
鵜飼康東
母さんと呼ぶ声のして振り向くも吾子は遠きに住み居るものを
土屋美恵子
我が膝と膝のあひだを滑らかに魚跳ぬるごと吾子の生れ出づ
高木佳子
[注]先の「母を詠む」シリーズと同様に「子を詠む」シリーズのいずれの作品も心に沁みるものであった。情景を思い描くと涙がでる。
子を詠む(5/6)
駈けてくる吾子抱きとめむこの胸は凪ぎつつ港とならねばならぬ
高尾文子
癇の虫封じ終りて戻る道ぴつたりと頬つけし背の子はぬくし
湯沢千代
あたたかき息して眠る吾子二人 月下に青梅ぎっしり実る
上田 明
子を死なしめしけだものに似る悲しみを押しこらへつつ夜を帰るなり
岡野弘彦
黒板に迷子のわが子の名を書きて又先へ行く夢の廊下を
花山多佳子
生さぬ子と吾子と七人育てたる古家に独りの今の平安
石橋直子
*下句がなんとも哀しい。
ゆふぐれの雪けぶり立つあなたより雪繭になりし吾子まろびくる
立野朱美
せかせかと生きて育てし末の子の土器に心を寄せゆくあはれ
藤川弘子
もう抱けぬ重さの吾子の弁当に取りておくいちばん大きい苺
平岡三和子
吾子の死を空の高みにひぐらしの悼みて鳴くと夫の言ふかも
斎藤佐知子
*ひぐらしの鳴き声に亡き子供を思う夫婦の姿。
子を詠む(4/6)
風化して傾きゐずや年を経しかの草かげの吾児の墓標よ
大西民子
*作者は、23歳で結婚、男児を早死産し半年あまり病床にあった。
入浴を終えたる吾子が真裸にまろび逃げゆく春の夜具のうえ
橋本喜典
山坂を歌ひてくだる一群のなかにちひさくわが子が交(まじ)る
上田三四二
一団の小学生に交じる吾子自作の鯉のぼりかかげて帰る
藤岡武雄
歩道にて会ひたる父に口きかず娘十四歳謎のかたまり
島田修二
誕生日を迎へたる吾子を囲む夜に妻はいくらか酔ひたるらしも
戸塚 博
けしごむを購ひやりしのみデパートにつづく地下駅に子と憩ひをり
田谷 鋭
汗のシャツ枝に吊してかへりきしわれにふたりの子がぶらさがる
時田則雄
小突かれて精一杯に耐へてゐるブランコの吾子を遠く見守りつ
河野裕子
吾子泣きて我呼びおらん夕くれてまた痛みくる乳首もみほぐす
玉城洋子
子を詠む(3/6)
叱りつつ出(いだ)しやりたる子の姿ちひさく見ゆる秋風の門(かど)
岡本かの子
大(おほい)なる声してよべば大(おほい)なる月いでにきと子のつぐるかな
茅野雅子
ほのぼのと目を細くして抱かれし子は去りしより幾夜か経たる
斎藤茂吉
そむかれむ日の悲びをうれひつつ百日(ももか)に足らぬ子をいだくなり
新井 洸
親と子とはなればなれの心もて静かに対(むか)ふ気まづきや何(な)ぞ
石川啄木
君とゐてわが生(う)ままくの子を欲しと思ふ日のありかなしき極(きは)みに
原阿佐緒
*原阿佐緒は若くしてさまざまな恋愛問題を引き起こした。小原要逸との間に一児(阿佐緒の長男・千秋)、画家庄子勇と結婚し一児(阿佐緒の次男・保美)をもうけるも離婚。高名な物理学者石原純との不倫恋愛もあった。
わが乙女まことにふかく耀かにわくごはらみてひた肥えにけり
尾山篤二郎
*わくご: 若子、若児。
時代ことなる父と子なれば枯山に腰下(お)ろし向ふ一つ山脈(やまなみ)に
土屋文明
若かりしわが世に張りをあらしめし子といふものよあはれ子の恩
服部忠志
三人(みたり)の娘(こ)すべて嫁がせわが姓もわれの一代(ひとよ)に消えゆくらむか
宇塚一郎
子を詠む(2/6)
世の中にさらぬ別れのなくもがな千世もとなげく人のこのため
古今集・在原業平
*「 世の中に避けられない別れというものがなければよいのに、千年でも生きて欲しいと願う子のために。」
人の親の心はやみにあらねども子をおもふ道にまどひぬるかな
後撰集・藤原兼輔
夜の鶴みやこの内にこめられて子を恋ひつつもなき明かすかな
詞花集・高内侍
*「夜の鶴は籠の中で子を思って哭いたというけれど、私は都の内に足止めされて、子を恋い慕いながら哭き明かすのだなあ。」
いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母を尋ぬる
金槐和歌集・源 実朝
*戦の絶えない時代ながら、親を亡くした童子が、母を求めて泣いている姿を見ると、実朝
ならずとも涙が止まらない。
父君よ今朝は如何にと手をつきて問ふ子を見れば死なれざりけり
落合直文
子をまもる夜のあかときは静かなればものを言ひたりわが妻とわれと
島木赤彦
今はわれ子が名を墓碑に刻まむか戦病死せしかなしき子が名
窪田空穂
病もつ一生(ひとよ)を終り今こそは吾子は眠りをほしいままにせり
木下利玄
子を詠む(1/6)
子・児・娘いずれも「こ」と読む。「愛子(まなご)」は最愛の子。「若子(わくご)」は幼い子にも若い男子にも使う。「吾子(あこ)」は上代ではアゴと濁った。(辞典による)
銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに勝(まさ)れる宝子に及(し)かめやも
万葉集・山上憶良
よしゑやし直(ただ)ならずともぬえ鳥のうら嘆(な)け居(を)りと告げむ子もがも
万葉集・柿本人麿歌集
*「たとえ直に逢えなくても、ぬえ鳥のようにひっそりと嘆いているとあの人に伝えてくれる子がいたらなあ。」 ぬえ鳥はトラツグミのこと。
朝影にわが身はなりぬ玉かぎるほのかに見えて去(い)にし子ゆゑに
万葉集・柿本人麿歌集
*玉かぎる: 日、夕、ほのか、などにかかる枕詞。
「朝の日差しの中の影のように私はすっかりやせ細ってしまった。チラッとその姿を見せてどこかに行ってしまったあの子のせいで。」
あしひきの山田作る子秀(ひ)でずとも縄(しめ)だに延(は)へよ守(も)ると知るがね
万葉集・作者未詳
*「山田を耕している娘さんよ、穂はまだ出てきてないけれど、ちゃんと縄を張りめぐらせておきなさいよ。ここはあなたの田だと知らせるために。」
言(こと)問(と)はぬ木すら妹(いも)と兄(せ)とありとふをただ独子(ひとりご)にあるが苦しさ
万葉集・市原王
多摩川に曝(さら)す手作(てづくり)さらさらに何そこの児のここだ愛(かな)しき
万葉集・東歌
*さらさらに: 副詞。「さらに ますます」 ここだ: 副詞。「こんなにも はなはだしく」
筑紫なるにほふ児ゆゑに陸奥(みちのく)の可刀(かと)利(り)少女(をとめ)の結(ゆ)ひし紐解く
万葉集・東歌
*「筑紫の国の匂うばかり美しい女にひかれて、陸奥の可刀利娘子が結んでくれた紐を解くことよ。」
[注意]このシリーズでも添付する参考画像は、いちいち断らないがWEBから借用してトリミングしている。
『蓬莱橋』にみる父、母の歌
5月21日初版発行ということで、伊東一如さん(青森県出身、「短歌人」所属)の出たばかりの歌集『蓬莱橋』(六花書林)を読んだ。このブログで、父、母を詠むシリーズの時期と重なったせいか、伊東さんが詠んだ多くの父母の作品に惹かれた。ここでは、それぞれの例をあげてこの歌集のひとつの特徴を紹介したい。歌数から分かるように、母への思いが一層つよい。
父を詠んだ歌は、歌集に15首(4.4%)ほどある。内5首を次にあげる。
父のいふ「これは根雪になるだらう」われ耳ざとく聞きてよろこぶ
父の声もの言ひ価値観体臭にもの食らふ所作すべて厭へり
とりあへず百二十歳を目標に結果百歳(ひやく)まで生きんと笑みき
百までを生きんと言ひてひと月も経たず逝きたり七十九にて
凡庸を恥づることなく歎くなくそを楽しみて逝きし人かな
母を詠んだ歌は、歌集に30首(8.8%)ほどある。内10首を次にあげる。
霜焼の足を浸けよと大釜に滾(たぎ)る湯を汲みくるる母の背
雪のなか小さき家に母の灯のともるをみればわれ駈けだしぬ
横浜から嫁ぎし母の婚礼でうたはれたるは「弥三郎節」
ゴミ袋を買はざる母は「捨てるものにお金を払ふなんて・・・・」といへり
捨てたはずの中学時代の地図帳が母の遺品のなかより出で来
冬の川でわが襁褓をば洗ひたる指のあかぎれ老いてなほ割る
くづほれし骨にわづかにししむらのはりつくだけの母となりたり
母に告げし最後の花の名前ゆゑわれの記憶の園に咲きをり
大切につかひ来たりしこの扇子 亡母(はは)が「一如」と書きてくれたる
死ぬことが救ひと母はおもひしかただ呻きゐしあの頃の母
歌集『蓬莱橋』(全341首)の特徴には他に、一字空け、リフレイン、ひらがなや漢字の表記、多様なルビ、外国語・カタカナ語 などがある。また書籍の校閲を職とすることから詠まれた作品も興味深い。
歌集を読み終わっての第一の感想は、歌集名の蓬莱橋が印象的ということであった。一如さんが亡きご両親に会えそうな場所に感じられた。