村山美恵子は、居間のソファーに横たわって皿のケーキを少しずつ食べている自分を詠んでいるのであろう。富小路禎子の初めの歌は、死体を見ても動揺することなくすべてを悟ったように、その場から去ってゆく人を見た場面か。三首目は、「海山の死霊」が不可解。春日真木子の歌は、功成し遂げて亡くなった人を送る葬送の場面を思わせる。時田則雄の歌では、「魂は死後発酵す」の解釈がポイントだが、どうも良い言葉では表現しにくい。
たましひは居間のソファーに横たはり皿のケーキは端より減れり
村山美恵子
もし象(かたち)もたば白狐か賢くて孤高なる魂(たま)屍(し)を離りゆく
富小路禎子
海山の死霊行合ふ峠路に月が明かせる遠き氷(ひ)の湖
富小路禎子
たましひは虹の彩なしのぼりゐむ冷ゆる大地にわれは身を置く
春日真木子
たましひはみどりなるべし蛍火の水に映りて水に入りゆく
辺見じゅん
吾が裡(うち)に亡き母と姑(はは)相寄りて一つの魂(たま)と想ふ迄に棲む
宮本すず枝
渡すべき魂なんどわれは持たず お前もきつとうけとりはしまい
槙弥生子
魂は死後発酵す月出でて月のあかりに畑鋤く祖父母
時田則雄