天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

涙のうた(3/11)

  忍びねの袂は色に出でにけりこころにも似ぬわが涙かな
                 千載集・皇嘉門院別当
  ころも手におつる涙のいろなくば露とも人にいはましものを
                千載集・二条院内侍参河
  つつめども枕は恋を知りぬらむ涙かからぬ夜半しなければ
                   千載集・源 雅通
  年ふれどあはれにたえぬ涙かなこひしき人のかからましかば
                   千載集・藤原顕輔
  恋ひわぶる心はそらにうきぬれど涙のそこに身は沈むかな
                   千載集・藤原実房
  憂き瀬にもうれしき瀬にも先にたつ涙はおなじなみだなりけり
                   千載集・藤原顕方
  おもひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり
                     千載集・道因
  大井河くだすいかだの水馴(みなれ)棹(ざを)さしいづる物は涙なりけり
                       和泉式部 

 一首目: 忍恋の心を詠んだもの。意味は、「忍び泣く声は袖の袂で抑えたけれども、その袂は涙に染まって、思いが色に表れてしまった。心は恋の辛さを隠そうと必死なのに、涙は心に合わせてくれないのだ。」
 道因の歌: 『小倉百人一首』に入っている。
掛詞として、
「うき」・・(1)「憂き」(辛い)(2)「浮き」(涙が浮かぶ)
「たへぬ」・・(1)「堪へぬ」(耐え難い) (2)「絶えぬ」(尽きることが 
ない)  
縁語として、
  「うき」・・「憂き」(に堪えぬは)・・・「浮き」を介して「涙」につながる。
一首の意味は「つれない人のことを思い、これほど悩み苦しんでいても、命だけはどうにかあるものの、この辛さに耐えかねるのは涙であることだ。」
 和泉式部の歌にある大井河(大堰川、大井川)は、京都府中部の川(桂川の嵐山渡月橋付近から桂橋までの名称。)で、古典和歌に多く詠まれた歌枕である。

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大井河