天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

犬を詠う(10/12)

ドーベルマン

  老いに添ひ信号待てる盲導犬上ぐる眼に秋の日澄めり
                       青木陽子
  小便のいまだ乾かぬ塀なども犬連れし人は驚かざらむ
                       大島史洋
  時間いま遅遅と進みて見通しの草地ドーベルマンが陽を浴ぶ
                       高嶋健一
  坂の上雲の浮べる切り通し影濃くなりて犬ひとつ行く
                      岡部桂一郎
  おびただしくドラム缶積む空地あり 黄色き犬は何にふりむく
                      岡部桂一郎
  雨降りの仔犬のやうな人が好き、なのに男はなぜ勝ちたがる
                       栗木京子
  あのやうな人になりたかつた私を人間になりたかつた犬が見てをり
                       栗木京子


高嶋健一の上句が何故かドーベルマンの姿とよく合っている。不思議だ。
栗木京子の一首目: 上句と下句との関係が希薄。下句は別の状況の表現に置き換えられる。連歌的構造である。二首目の下句は作者のかってな想像。こうした歌の作りは、真似したくなる人もいるだろうが、独りよがりだとして批判を受けるのではないか。
画像の犬種はドーベルマン。1890年頃にカール・フリードリヒ・ルイス・ドーベルマン氏によってドイツのテューリンゲン州で生みだされた。警護能力に長け、現在でも「軍用犬」「警察犬」「麻薬探知犬」などとして活躍している。