天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

平安・鎌倉期の僧侶歌人(3/17)

遍昭弘仁七~寛平二(816-890))
 桓武天皇の孫。平安時代初期の天台宗の僧・歌人六歌仙および三十六歌仙の一人。僧正の職にまで昇り、歌僧の先駆の一人である。
 ところが、紀貫之による遍昭の評は、「僧正遍昭は、歌のさまは得たれどもまことすくなし」という厳しいものであった。
 遍昭の歌風は出家前と出家後で変化しており、出家後は貫之が評したように物事を知的にとらえ客観的に描き出す歌を多く作ったが、出家前には情感あふれる歌(例えば古今集、「天つ風雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ」)も詠んでいる。

[生活感]
  わび人のわきてたちよる木(こ)のもとはたのむかげなくもみぢ散りけり  古今集
 *わきてたちよる木のもと: ここと決めて立ち寄る木の下。
  ちりぬればのちはあくたになる花を思ひしらずもまとふ蝶(てふ)かな   古今集
  いまさらに我はかへらじ滝見つつ呼べど聞かずと問はば答へよ      後撰集
[旅の感懐]
  わび人のすむべき宿とみるなへに歎きくははる琴のねぞする       古今集
 *「侘び暮しをしている人が住んでいそうな家だなと思って見ていたら、いっそう

  溜め息の重なる琴の音が聞こえてきた。」という意味だが、万葉集

  「琴取れば嘆き先立つけだしくも琴の下樋(したび)に嬬(つま)やこもれる」

  という先行歌がある。
[人生観]
  すゑの露もとのしづくや世の中のおくれ先だつためしなるらん     新古今集
 *「葉末に留まっている露と、根もとに落ちた雫と――人に後れたり、人に先立って
  亡くなる、この世の無常の例なのだろう。」

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琴 (WEBから)