五感の歌―視覚(2/3)
見てのみや人に語らむ桜花手ごとに折りて家づとにせむ
古今集・素性
*家づと: 家への土産(みやげ)。
「見ただけの様子を人に話そうか、いや、それぞれが手に折った桜を持って家
への土産にしよう。」
逢ふことも今はなきねの夢ならでいつかは君をまたは見るべき
新古今集・上東門院
*藤原彰子(上東門院)が、夫の一条天皇が崩御した際、夢の中でほのかに見えた
ので詠んだという歌。「逢うことも今はもう無い。泣き寝の夢の中でだけ逢う
のではなく、いつかまたあなたにお逢いできるのでしょうか。」時に条天皇33歳、
彰子28歳であった。
おく山の峰とびこゆる初雁のはつかにだにも見でややみなむ
新古今集・凡河内躬恒
*「奥山の峰を飛び越えて行く初雁のようにわずかにでも見たいのに、見ないまま
に終わってしまうのでしょうか。」
見てもまたまたも見まくのほしかりし花のさかりは過ぎやしぬらむ
新古今集・藤原高光
*一首の意味は、「一度逢ってもまた重ねて逢いたく思ったものだった、あの花
の盛りはもう過ぎたであろうか。」これには、古今集・読人しらずの本歌、
見ても又またも見まくのほしければ馴るるを人は厭ふべらなり
がある。
鉢植の梅はいやしもしかれども病の床に見らく飽かなく
正岡子規
わが眼(め)いま向ふに迷ふ見ずもあらず見もせぬ国をさやに見むとて
尾上柴舟