数のうた(3/3)
以下の例からもわかるが、新古今集では、「数ならぬ」という表現がよく使われた。
数ならぬ身は無きものになし果てつ誰が為にかは世をも恨みむ
新古今集・寂蓮
世を厭ふ名をだにもさは留め置きて数ならぬ身の思出にせむ
*「この世を穢土として厭ったという私の噂だけはそのままこの世に残し、取るに足りないわが人生の思い出としよう。」
数ならぬ心のとがになし果てじ知らせてこそは身をも恨みめ
*「身分不相応の恋をしたことを、賤しい身である自分の拙い心のあやまちとして諦めはすまい。あの人にこの思いを知らせて、拒まれた上で初めて我が身を恨もうではないか。」
数ならで世にすみの江の澪標(みをつくし)いつをまつともなき身なりけり
新古今集・源 俊頼
*澪標: 船の安全な航路を示す標識。古来、遠浅の難波潟(すみの江)の名物で、難波の縁語。
数ならぬ身をなに故に恨みけむとてもかくてもすごしける世を
新古今集・行尊
零といふ寂しき数を見出でたる人よ碧空を仰ぎしにあらずや
葛原妙子
ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも
数により事を決する集団の中の「個」として長く勤め来ぬ
五島美子
*多数決のルールにより集団の行動を決めるのが民主主義とすれば、結句に作者のある思いが詠みこまれているようだ。
散る花の数おびただしこの世にてわたしが洗ふ皿の数ほど