天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2017-01-01から1年間の記事一覧

留魂歌(3/5)

形見・餞別 自分の思いあるいは相手の思いを形としてやり取りする形見や餞別は、言わば遊離魂の具体的な象徴である。貰ったものを見れば、相手の魂をそこに感じる。 有間皇子が自ら傷みて詠んだ次の歌の「浜松が枝」は、現世の自身の証だったが、期せずして…

留魂歌(2/5)

遊離魂 遊離魂と言い留魂と言う時の魂とは、現代科学の立場からは、未練・執着心・心残りのことと割り切れば、理解できる。また形見や餞別は、相手の魂を見える形にしたもの、魂の代用品 と考えられる。 肉体から遊離してさまよう霊魂は,〈かげ〉そのもので…

留魂歌(1/5)

物理的にお互いが別れ別れになっても魂は寄り添うことができると信じられてきた。現代でも「心残り」「心ここにあらず」「面影」などと言う。この現象が遊離魂である。遊離魂が特定の恋人、家族、物、土地や国などに留まる時が留魂である。吉田松陰の良く知…

晩秋の吾妻山

運動不足解消のために、二宮町の吾妻山を歩いてきた。山の名前の由来が、吾妻神社の境内の案内板に書かれている。『古事記』のよく知られた話だが、東征の倭建命が走水に至った時、荒れ狂う海神の怒りを解くため、妃の弟橘比売命は海に身を投じて難を退けた…

紅葉狩りー大雄山

小田原から大雄山線で終点の大雄山駅に行き、そこからバスに乗って終点の道了尊で下車。大杉木立の中の道をたどって最乗寺に着けば、瑠璃門前に豪華な紅葉が出迎える。今年初めて見る見事な紅葉である。境内の鉄拳梅、大香炉、御供橋など見ながら奥の院にの…

浜松・龍雲寺

11月18日から浜松に行く機会があり、紅葉の見どころをあらかじめインターネットで調べたのだが、いずこも時期尚早。紅葉狩りにはならないが、今まで行ったことがない西湖山・龍雲寺を訪ねた。浜松市西区入野町にある木寺宮康仁親王(南北朝時代の皇族)の創…

円覚寺の秋

北鎌倉の紅葉の具合はどうだろうかと、とりあえず円覚寺に行ってみた。入口山門下のもみじは鮮やかに紅葉しており、観光客がスマホに撮っていた。ただ裏山はみどりがちで、紅葉にはまだ遠い様子。ぶらぶら歩いて開基廟に入り、抹茶を飲むことにした。久しぶ…

さまざまな直喩(13/13)

おわりに 直喩の力を意識した最初の俳人が蕪村であり、近代では虚子であった。蕪村は多様な表現を工夫し、虚子は「如」表現の幅を広げた。茅舎、草田男、展宏、裕明たちはそれぞれの信条にもとづいて虚子以上の頻度で直喩を用いた。虚子以降、写生と直喩は離…

さまざまな直喩(12/13)

写生と直喩 正岡子規の『俳諧大要』「俳句の初歩」において、初心者の陥りやすい七種の邪路(理屈を含みたる句、譬喩の句、擬人法を用ゐし句、人情を現じたる句、天然の美を誇張的に形容したる句、語句の上に巧を弄する句、雑)をあげている。この内、譬喩の…

さまざまな直喩(11/13)

明治から現代までの傾向として、単純な取合せから複雑な言い回しになった。即ち、状態の喩や対象が名詞で喩が状況 などの増加である。 飾り太刀倭めくなる熊祭 誓子 やさしさは穀透くばかり蝸牛(かたつむり) 岳人等ランチの皿を舐めしごとし 一、二番目は抽…

さまざまな直喩(10/13)

次に共通性の高い「やう」と「似」の場合について、それぞれよく使用した作家の例句を二句ずつあげる。 すりこ木のやうな歯茎も花の春 一茶 此(この)やうな末世(まつせ)を桜だらけ哉 十五夜を絵本のやうに泣きに泣く 展宏 冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ 泣い…

さまざまな直喩(9/13)

使用頻度一位の「如」句の構造は、「体言・の」如「き・体言」であり、二位は「体言・の」如「く・用言」であった。それぞれの例を茅舎の句で示す。 明月や碁盤の如き数珠屋町 「体言・の」如「き・体言」 寒の土紫檀の如く拓きけり 「体言・の」如「く・用…

さまざまな直喩(8/13)

俳句における直喩の変遷 江戸期から現代に到る過程で、俳句に現れた直喩を時代を追ってみてみよう。芭蕉の用いた直喩の種類は少なかったが、蕪村はその種類を一挙に拡張し、一茶がそれに続いた。分析結果では次のようになった。 芭蕉(4種) → 蕪村(17種) …

さまざまな直喩(7/13)

直喩の内容は、対象の状況・状態とそこから喚起される作者の心象・心情によって決まる。つまり対象に接して、あるいはある状況下で、湧きおこる作者の感情や心象を俳句に詠むわけだが、対象への接し方は五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)のいずれかを通…

さまざまな直喩(6/13)

直喩表現の多様性(二) 直喩の俳句は、取合せの俳句である。直喩の形態・種類は、多様であるが、それは対象、喩、表現 のそれぞれが、さまざまな形態をとるところに起因する。「対象」や「喩」になるのは、もの・事象・心境である。対象と喩が同類の場合、…

さまざまな直喩(5/13)

噴煙の古綿為すに夏日透く 草田男 さながらに河原蓬は木となりぬ 草田男 ゆく春やおもたき琵琶の抱(だき)心 蕪村 堀川の螢や鍛冶(かぢ)が火かとこそ 蕪村 木母寺(もくぼじ)の鉦の真似してなく水鶏 一茶 簀戸はめて柱も細き思ひかな 虚子 土用波木枕じみし家…

さまざまな直喩(4/13)

次に十三人の俳句に現れた39種の表現につき、それぞれ一句ずつ例をあげる。直喩表現の語を傍線で示す。但し、「なりに、―に」については二句あげる。 山眠る如く机にもたれけり 虚子 夏山の洗うたやうな日の出哉 一茶 狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉 芭蕉…

さまざまな直喩(3/13)

直喩表現の多様性(一) 実態を直接表現する短い言葉が存在しない(未開拓な)場合、既存の類似の状況表現即ち直喩を用いて、読者の理解を助け共感を誘うことになる。 分析の結果から、直喩表現の種類と使用頻度について、以下にまとめておく。 対象句数:28…

さまざまな直喩(2/13)

直喩についての分析結果を先に紹介しよう。次のようになっている。 直喩使用状況 作者 対象句数 直喩の種類 直喩の句数 直喩句の割合 松尾芭蕉 976 4 14 1.43% 与謝蕪村 2,871 17 46 1.60% 小林一茶 2,000 18 51 2.55% 正岡子規 2,306 3 10 0.43% 高浜虚…

さまざまな直喩(1/13)

はじめに 古来、伝説や神話において比喩は多用された。比喩は洋の東西を問わず文芸の原初的基本的修辞法であった。わが国の和歌の歴史(古事記、日本書記に現れる記紀歌謡から現代短歌まで)にも比喩の展開を見ることができる。 俳句は、わずか十七文字の最…

白旗の秋

白旗神社の並びの公園には銀杏並木がある。その色づき具合で鎌倉の紅葉状態を判断しようと出かけてみた。銀杏が落ちていてかなり黄葉が進んでいた。 以前にも書いたが、相州藤沢の白旗神社には、源義経が祀られている。文治5年4月、奥州平泉の衣川において自…

立冬の鎌倉

何度も書いているような気がするが、今年の気候は全く不順で出鱈目。秋らしい天気に出会うことなく立冬になってしまった。ただ立冬の当日だけは秋らしい陽気になった。今年も紅葉を見に出かけたいのだが、横浜、鎌倉周辺では時期尚早のようである。確認のた…

女声合唱とバイオリン

知人がメンバーの女声合唱団「富岡コール」の創立50周年の記念コンサートを聴きに横浜ランドマークに出かけた。二年ぶりに聞いたのだが、ソプラノ、アルト、メゾソプラノなどが混じって合唱すると歌詞が全く聞き取れない。曲目が変わってもみな同じに聞こ…

川のうた(15)

日本の大きな河川なかでも暴れ川には、次のように人の名をつけて特別扱いされているものがある。 坂東太郎=利根川、筑紫次郎=筑後川、四国三郎=吉野川。なお江戸・東京で大川と言えば、隅田川を指した。 上田一成の夢前川(ゆめさきがわ)は、兵庫県姫路…

川のうた(14)

以下の初めの三首は、それぞれの川の特徴をとらえている。中伊豆を流れているのは、狩野川であろう。後の三首は、川に関わるそれぞれの動物の一瞬の状況を詠んでいる。川を泳いでいる蛇を見ていると確かに、小黒世茂の歌のような感覚になる。 ひかりみちてふ…

川のうた(13)

一首目は読者には唐突に感じられ、よく分らない。連作の中で初めて分る性質の歌。また三首目は、「拉致・テロもなき」生活の有難みを、舳先に広がる掘割の水の豊かさに見ている。秋葉四郎の歌は、二首ともに対句により韻律性を高めている。最上川といえば、…

川のうた(12)

六首目のブンガワン・ソロは、インドネシア、ジャワ島中部を流れるソロ川を指す。この名を世に知らしめたのは、市川崑が1951年に制作した日本映画の題名からであった(実は、別の監督が半分以上を担当し、市川は自分の名前を外すよう要求したが、認められな…

川のうた(11)

短歌の中に自分を読み込むかどうか、以下の作品群を見ていると考えさせられる。一首目は作者の姿、二首目は旅人の姿、三首目は川の水の様子。 俵 万智は、川にあやとりやオルゴールを回想している。辰巳泰子の歌からは、今までの男との生活をふり捨てて新し…

川のうた(10)

佐藤佐太郎が日々あゆんだ遊歩道は、世田谷区にある蛇崩川緑道である。蛇崩川は、かつては大変な暴れ川で、谷も深く両岸を深く浸蝕しそこに土砂が崩れていたという。昭和48年に暗渠化工事が完成し、この川が散歩道に変わった。 運河は船舶の航行のために人工…

川のうた(9)

初めの三首は、川の流れる場所の状況を詠んでいる。川は密林の中や峡谷をえぐって流れる。人間が関係した場所は、虚しさを覚えさせるようだ。二首目は、二句で切れる。吉川宏志の初めの歌は、隠喩によるものだが、大変分りにくい。どんな喩を使ってもよいが…