天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2007-06-01から1ヶ月間の記事一覧

ビヨウヤナギ

未央柳。オトギリソウ科の半落葉性の小低木。中国原産で金絲桃ともいう。良く似た花に金絲梅がある。やはりオトギリソウ科の半落葉性の小低木で中国原産。 龍太俳句の特徴のひとつに、季重なりが多いということがあげられる。これは、三橋敏雄が指摘していた…

生田緑地

多摩丘陵の一角に位置し、宮前区と多摩区にまたがる川崎市内最大の緑地である。日本民家園、青少年科学館、プラネタリウム、伝統工芸館、枡形山展望台、岡本太郎美術館などの施設がある。日本民家園や岡本太郎美術館は以前に見ていたので、今回は、枡形城址…

アガパンサス

ギリシャ語の 「agapa(愛らしい)+ anthos(花)」に発する。紫君子蘭、アフリカの百合 とも。花言葉は「知的な装い」。南アフリカ原産、ヒガンバナ科の多年草で、わが国には明治中期に渡来した。 飯田龍太の俳句を分析しているが、どうしても彼の父・蛇笏…

夾竹桃

インド原産、日本には江戸時代に渡来した。排気ガスなどの公害に強いので、車道の脇や工場の片隅に植えられているのをよく見かける。花の色は普通紅色だが、白、淡黄などもある。さし木で簡単に増やすことができる。 病人に夾竹桃の赤きこと 高浜虚子 夾竹桃…

月見草

待宵草ともいう。アカバナ科の二年草でメキシコ原産。日本には嘉永年間(1848〜54)に渡来したという。宵を待って白い花を開き、翌朝にはしぼんで紅変する。現在ではあまり見られないらしい。明治初年に日本に入ってきて山野に帰化したオオマツヨイグサをツキ…

散在ケ池

散在ケ池森林公園は、北鎌倉明月院のはるか後方に位置する。大船からみると今泉台という宅地の奥にある。地図の上では、鎌倉湖として出ている。しばらく行っていなかったので、場所を見つけるのに時間がかかった。池を一周する散策ルートは、今の時期、鬱蒼…

短歌のリズム(続)

『短歌研究』七月号の特集「七夕に寄せて」の歌の中から、小池光の見方に従って例を抜いてみよう。 亀を飼おうと思う本気があぶないとにやりと忠告をする人ぞある 永田和宏 *初句七音の字余り。ゆったりとした始まりが余裕ある歌の 内容にマッチしている。 …

短歌のリズム

『短歌研究』で現在、小池光が「短歌を考える」というすばらしい連載を書いていることを、以前に紹介した。最新の七月号では、五七五七七のリズムにおける初句から結句のそれぞれの役割・効果について解説している。以下に要点をまとめる。前提: 日本語の定…

露草

月草、蛍草、青花、帽子花、かまつか、おうせきそう鴨跖草 など別の呼び名がある。ただし、このうちの「かまつか」は、中国・四国地方の方言らしいが、葉鶏頭の別名でもあるので、注意を要する。世界中に見られる雑草という。若葉は食用、乾燥して利尿剤に使…

蝶と野良猫

JR相模線の宮山駅で下車して寒川神社境内を歩き、相模川岸を歩く行程もわが吟行ルートのひとつである。川の岸辺に座っていると、様々なものが見える。遠くには大山の峰、川上には新幹線、川の中島には鷺やヨシキリ、対岸の空には雲雀、時に静寂を破って無…

ほたる袋

キキョウ科の多年草で、釣鐘草、風鈴草、提灯花 などともいう。東アジアの山野にはえる。子供の頃は、この袋の中に、蛍の幼虫が泡に包まれて棲んでいるものと信じていた。蛍をとってこの花の中に入れて遊んだこともある。 吾妻山にある浅間神社の小さな祠の…

龍太の人柄

俳人・飯田龍太にこだわっている。俳句を始めた頃は、彼の作品を好んで読んだものだが、いつの間にか離れてしまっていた。あまりに澄んだ抒情だからであろうか? 最近の俳句雑誌の追悼号を読むにつけて、懐かしくなったのである。そして、6月10日付けで、…

磨崖

横須賀線の東逗子駅から山側の道を登って神武寺にゆく。天台宗の寺だが創建時期は詳らかでない。神奈川県教育委員会・逗子市教育委員会が立てた境内の看板によると、承元三年(1209)五月十五日、将軍実朝がここに参拝したことが吾妻鏡に記されていると…

芭蕉の開眼3

長谷川櫂著『「奥の細道」をよむ』を読み終えた。不易流行と「かるみ」についての長谷川の解釈が見所である。要所を本文から引用するのが手っ取り早い。 「人の生死にかぎらず、花も鳥も太陽も月も星たちもみな この世に現れては、やがて消えてゆくのだが、…

芭蕉の開眼2

長谷川櫂著『「奥の細道」をよむ』は、実に血沸き肉踊る内容である。芭蕉開眼の句「古池や蛙とびこむ水の音」の論理で首尾一貫している。そして、先人の研究をいくつも踏まえた上での展開であることも感じられる。長谷川は参考にした先人の業績一覧をあげて…

芭蕉の開眼1

昼休みに九段下の本屋に入って面白い本はないかと探していたら、長谷川櫂著『「奥の細道」をよむ』という最新刊(ちくま新書、6月10日発行)を見つけた。芭蕉については、山なすほど多くの研究書があるのに、今更何を言いたいのだろう、という興味から購…

どくだみ

ドクダミ科の多年草。生薬は化膿、創傷にはり、煎じては利尿、駆虫薬に用いる。十薬の名でも知られる。二宮町の吾妻山に登って行くとこのどくだみの白い花が目立つ。菜の花が咲いていた山頂の畑には、雑草が茂っていたが、傍らにコスモスが咲いていたのには…

しもつけ草

紫陽花の季節の三番目の行動パターンは、江ノ電を極楽寺駅で下り、極楽寺、成就院、権五郎神社、長谷寺、光則寺 と逍遥すること。殊にも成就院の坂道と長谷寺の山道の紫陽花は、よく知られている。 極楽寺参道は、桜の青葉で鬱蒼と暗い。桜の実が地面に落ち…

軍人志願

とっくに月が替わっていたが遅ればせながら、靖国神社拝殿社頭掲示のコピーを貰ってきた。昭和六十二年作の次の昭和天皇御製も載っている。崩御が二年後であったから、残念も深かったに違いない。 思はざる 病となりぬ 沖縄を たづねて果さむ つとめありしを…

正岡子規の歌と句の対応

歌人でありながら俳句をつくる人は割と多い。近代以降では、正岡子規、現代では寺山修司、塚本邦雄、岡井隆 他。寺山修司と塚本邦雄については、〈私性〉における本歌取のところで、俳句と短歌の関係を述べた。では、古今和歌集をこき下ろして短歌革新を行い…

立葵

紫陽花の季節の次の行動パターンは、南足柄の開成にあるあじさいの里に行くこと。紫陽花だけでなく立葵も畦道に咲いている。立葵は中国原産、花葵ともいう。多年草で、茎は直立して高さ二メートル余りにもなる。 ただ、今年は最悪であった。あじさい祭開催の…

挑発する

「藍生」6月号・黒田杏子主宰の巻頭作品から。以下のような例はどのような意図を持つのだろうか。まさか会員の意見を聞きたいわけではない。会員のいちゃもんを受け付けるスペースは会誌にないからである。かといって、こういう俳句を奨励しているとは思え…

短歌における〈私〉5

今回の話はわが試論・仮説である。 短歌における〈私〉を直感的に分類すると、次ぎのように三グループになろう。おおまかな特徴と例歌をあげる。歌人は状況に応じて、作り分けるので、グループ分けすることは無理だが、歌を仕分けることはある程度可能である…

姫あじさい

紫陽花の季節になった。そうなると毎年の行動パターンは決まってしまう。今年は先ず北鎌倉の明月院に行く。ちょっと早いかなと思ったが、やはり咲き始めであり色がまだ淡い。明月院の紫陽花は、日本古来の姫あじさいで統一されている。 紫陽花のルーツといえ…

短歌における〈私〉4

「本歌取り」は、危険が一杯であるが、注意深く用いれば大きな効果を発揮する。今回は、寺山修司とは別のレベルで本歌取りを多用した塚本邦雄の例を紹介する。別のレベルとは、寺山と違って、文体と思想に塚本の私性がまぎれもない。 春の夜の夢ばかりなる手…

短歌における〈私〉3

前回、短歌の私性を論じるには、技法面からも見ることが大切と述べたが、もう少し具体的に説明しておこう。前々回に補足した「本歌取り」について。しつこくなるが、まず新古今集・春上からの例をあげる。 かきくらしなほふるさとの雪のうちに跡こそ見えね春…

相模川

相模川の水源は富士山麓の山中湖、忍野八海であるが、山梨県下を流れている間は桂川と呼ばれ、神奈川県に入ってから相模川となる。全長109kmの一級河川である。古代から鮎の産地であり、鮎川とも呼ばれたという。また、河口近くでは馬入川ともいった。…

夕日の滝

この滝は大雄山の北西山麓にある。足柄峠の南西下に位置する。矢倉沢往還から足柄峠に通じる道は、古代の官道であった。日本武尊の軍勢も源氏の軍勢も通った。また菅原孝標の娘は、ここを越えたときの様子を「更級日記」に書き残した。平安中期の武人で源頼…

短歌における〈私〉2

角川「短歌」6月号の特集「〈私〉という主題の詠い方」の中で、坂井修一が明治以降、西洋の自由平等や個人主義の影響を受けて、特に〈私〉の主体性を強く求めるようになり、短歌では与謝野晶子をその旗手としてあげている。それでは、古典和歌では、作品に…

短歌における〈私〉1

角川「短歌」6月号の特集「〈私〉という主題の詠い方」について。今回の企画は失敗であった、と思う。あまり知識の無い読者が読むと、何が問題なのかよく理解できないはず。近代以前の和歌では、私性が乏しいことを前提にして論じているような印象を受ける…