天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧

道づくし(7/11)

いよいよ形而上学的道として、「夢路」「こころの道」「あの世への道」などがある。 夢路にも露やおくらん 夜もすがら通へる袖のひちてかわかぬ 古今集・紀貫之 奥山の岩がきぬまのうきぬなは深きこひぢに何みだれけむ 千載集・藤原俊成 ゆふ風に萩むらの萩…

道づくし(6/11)

このような物理的通路としての道は交通手段の発達で通行が便利になるにつれ、歌での現れ方も様変わりしてくる。ひとつは、車道、鉄道、空路といった新しい道が出現する。ちなみに、わが国に汽車が導入されたのは、明治五年、自動車が明治三十七年、飛行機は…

道づくし(5/11)

次は、折口信夫に代表されるフォークロア(民俗学)の観点からの道の歌。 歌集『海やまのあひだ』から引こう。明治三十七年頃より大正十四年(十七歳から三十八歳)までの作品で、 歌集あとがきには、「其間に俄かに、一筋の白道が、水火の二河の真中に、通…

道づくし(4/11)

続き 赤羽根の汽車行く道のつくづくし又来ん年も往きて摘まなん 正岡子規『子規歌集』 春を断る白い弾道に飛び乗つて手など振つたがつひにかへらぬ 斎藤史『魚歌』 大雪山の老いたる狐毛の白く変りてひとり径を行くとふ 宮 柊二『忘瓦亭の歌』 ひとところ蛇…

道づくし(3/11)

道には合成語として、坂道、信濃路、都大路、夢路、地下道、高速道路、柔道 など様々な言葉がある。地名の下につくときには、東海道や北海道のようにそこへ行く道、その地域内を通じている道の意を表す。道や路を含む合成語の効果は、ロマン(物語性)が纏い…

道づくし(2/11)

以下では、和歌・短歌の世界でどのような道が取り上げられてきたか分類してみたい。 先ずは、道の定義を辞書に当たってみておこう。白川静『字統』によると、道は首を携えて進む形で、 外地に赴くときの啓行(先導、旅立、出発)の儀礼を示す。正岡子規が日…

道づくし(1/11)

―この道や都大路も極道も― 東山魁夷の代表的な絵「道」について、それを描いた経緯が東山魁夷の画集に紹介されている。要約すると、モティーフは十数年前の写生からで、燈台や放牧の馬等が見える風景であった。それを道と周囲の草叢だけに省略して、夏の早晨…

岬のうた

辞書によると、岬・崎(みさき、さき)は、丘・山などの先端部が平地・海・湖などへ突き出した地形を示す名称。「さき」は「先」の意味で、「みさき」と読む場合の「み」は接頭語。 遠き岬(さき)近き岬岬(さきざき)とうちけぶり六月の海のみどりなる照り 窪…

ウミネコ

海猫はカモメ科の鳥。日本近海の沿岸や島に生息する。五か所には集団で繁殖しており、天然記念物になっている。黄色い嘴の先端に赤と黒の模様があるところで、他のカモメと区別される。猫のような鳴き声で啼くところから名前がついた。魚に群れるので魚群発…

丹頂鶴(2/2)

丹頂の飛び立つときに湿原の空から花片のやうな雪降る 山名康郎 紅梅にみぞれ雪降りてゐたりしが苑(その)のなか丹頂の鶴にも降れる 前川佐美雄 一羽また舞ひくだり来て湿原に丹頂鶴は花のごと立つ 武田弘之 冬空に首ながく延べかが鳴けるつがひの丹頂吐く息…

丹頂鶴(1/2)

現在、北海道釧路地方の天然記念物として保護されている。鹿児島県出水市に他の鶴にまぎれて数羽くることがある。三月から九月にかけてつがいが湿原にテリトリーをかまえて繁殖する。 松蔭に丹頂の鶴二羽ならび一羽静かにあなたに歩む 窪田空穂 吹き過ぐる風…

山河生動 (13/13)

最後に、露の句が大変に目立つことを言っておかねばならない。季語としての露を入れ た句は、全3347句のうち69句、2・1%になる。 その背景について、廣瀬直人や杉橋陽一は、「龍太にとって露は、叙情などというよりも、 もっとその生き方とでも言っ…

山河生動 (12/13)

龍太の父蛇笏の作品と比較してみるのも興味深い。 紺絣春月重く出でしかな 龍太『百戸の谿』 鴉片窟(あへんくつ)春月ひくくとどまれり 蛇笏『旅ゆく諷詠』 共通なのは、春月であるが、蛇笏の写実に対して、龍太の強い抒情性が特徴である。 いきいきと三月生…

山河生動 (11/13)

秋空の一族よびて陽が帰る 『麓の人』 句中に切れはあるか? また、何の一族なのか? 句中に切れが入るとすれば、二句の 終りしかなさそう。句の主語は太陽であるから、秋空に散っている太陽の一族を、太陽が 呼び寄せて西の地平に沈んでいく、という情景な…

山河生動 (10/13)

雪山を灼く月光に馬睡る 『童眸』 雪山を灼く・月光に・馬睡る という七五五の構造だが、意味上は、雪山を灼く月光に・ 馬睡る である。途中に軽い切れがある。 夏すでに海恍惚として不安 『童眸』 初句で切れるのか、二句目できれるのか?「すでに」はどこ…

山河生動 (9/13)

次に龍太の柔軟な句構造について考える。 その前に、短歌の句構造に革新をもたらした前衛歌人・塚本邦雄との関係を見ておこう。 飯田龍太と塚本邦雄はほぼ重なった年代を生きた。両者の生まれは、ともに大正9年であ り、逝去は、塚本が二年早い平成17年で…

山河生動 (8/13)

次に近代俳句の固定観念に対する龍太の柔軟な技法をいくつか取り上げる。 先ず季重なり。龍太の俳句に季重なりが多いことについては、三橋敏雄の指摘があり、 15%にもなるという。ただし、これは「俳句研究」昭和43年6月号での発言だから、 龍太の第三…

 山河生動 (7/13)

他の喩法を用いた例についてもあげておく。前衛的な技法といえる。 手が見えて父が落葉の山歩く 『麓の人』 葛飾北斎の浮世絵におけるクローズアップ手法、北原白秋の短歌「大きなる手が あらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも」を思う。初めに部分を出…

熱海―梅と桜と起雲閣

閑話休題。 この時期になると例年、熱海に出かけて梅の花と桜を愛でる。今回は、まず起雲閣を見学した。以前庭園には入ってみたことがあるが、中の部屋々を巡ったのは今回が初めてであった。入館料は、大人510円。大正・昭和の浪漫にあふれていて、上品な日…

山河生動 (6/13)

春の谷爪切り過ぎしごとくなり 『山の木』 春の谷を見て爪を切りすぎたような感じだという。春の谷からは、芽吹きの新緑がなだ れ込む底に、川が流れている様子を想像する。一方、爪を切りすぎた時は、背筋が ヒヤっとして危うく感じる。共通するものは、ヒ…

山河生動 (5/13)

山枯れて言葉のごとく水動く 『麓の人』 山が枯れて水が動く、とはどういう状態か。落葉して裸になった冬山の間を流れ る小川は、深緑の頃と違って全体の様子がはっきり見える。流れの音も饒舌なくらいに聞 こえる。言葉のごとくとは、そのような様子の類似…

山河生動 (4/13)

客観写生への反措定の二番目は、喩法である。特に直喩の多用が目立つ。直喩(明喩)は、比喩の中では最も簡単な形式だが、通俗の陳腐さ平凡さが現れる危険があり、よほど注意しなければならない、と初心者は教えられる。龍太はこの危険な方法に果敢に挑戦し…

山河生動 (3/13)

あをあをと年越す北のうしほかな 『忘音』 北の潮も年を越している、と擬人表現した。自然と一体で年を越すのだ。 山々のはればれねむる深雪かな 『忘音』 山々は深い雪に包まれてしんとしているが、天気晴朗であることが、はればれ眠るという擬人法で身近に…

山河生動 (2/13)

行過ぎた客観写生への反措定として龍太が用いた手法に、先ず擬人法がある。擬人法は、無生物をあたかも人間の振る舞いのように記述するので、生命感を読者に感じさせ、まさに生動せしめる効果がある。リアリティが出てくる。主観や観念を自然な形で読者に手…

山河生動 (1/13)

明治以降の俳句史における飯田龍太の位置づけについて論じてみたい。作品から読み取れる龍太の俳句に対する姿勢・思いを要約すると、次のようになる。行過ぎた写実主義への批判と抒情性の復活さらに開拓、五七五そのままの定型に縛られない柔軟な構造の導入…

挽歌―茂吉と隆―(4/4)

古典和歌との対比 古典和歌の挽歌で類似の情況を詠んだものと比較しておこう。 火葬した骨を拾う場面が、茂吉の母の場合にも隆の父の場合にも次のような歌に詠まれている。 蕗の葉に丁寧にあつめし骨くづもみな骨瓶(こつがめ)に 入れしまひけり 茂吉 引き出…

挽歌―茂吉と隆―(3/4)

口語表現・破調・比喩の効果 挽歌における口語表現の効果を岡井隆の場合について見るが、実は茂吉にも次の一首がある。 わが母を燒かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし 「燒かねばならぬ」の一カ所の口語体が心情をよく表している。 岡井隆の場…

挽歌―茂吉と隆―(2/4)

母の葬式の場面でのよく似た情景 茂吉の『赤光』「死にたまふ母」と、隆の『歳月の贈物』にある母の挽歌を比較すると、状況の良く似た作品が多い。いくつか見てみる。 死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほだ)の かはづ天に聞ゆる 茂吉 死にちかき…