天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2006-03-01から1ヶ月間の記事一覧

神武寺

今日は会社を休んで、午後一時に短歌人の編集部の連中と逗子駅で待ち合わせ、湘南国際村センターへ夏の歌会の下見にゆくことになっている。それまでの時間を北鎌の円覚寺と東逗子の神武寺で過ごすことにする。円覚寺境内には櫻は多くない。時宗廟の満開の白…

歌語の誕生

角川「短歌」の連載「万葉集の〈われ〉」を毎月楽しみにして読んでいる。執筆者は、佐佐木幸綱。信綱、弘綱、幸綱と三代に渡って万葉集の研究家であるから、内容が大変奥深い。四月号では、歌語の誕生という話題。 “ 歌は日常語ではない。歌バージョンのこと…

春雷と桜

明け方に気持のよいほど大きな春雷が鳴った。昼間は花冷えになった。靖国神社は花の下の春まつり、皇居外堀周辺は桜満開。大変な数の花見客であった。 暁の春雷に夢破れけり 高層の眠りを破る春の雷 朝光の清しき桜並木かな 花弁に朝日の影のありにけり 銅像…

短歌の音楽性

「短歌現代」四月号の特集は、”鑑賞・音楽としての現代短歌”である。音楽性の解析がありきたりで物足りないが、短歌とは何か、その定義をあらためて考える契機にはなる。 五七五七七の五句三十一音の文語定型短詩というのが、和歌の時代からの定義であった。…

花の千鳥ヶ淵

千鳥ヶ淵の櫻並木がほぼ満開になった。先週末の段階ではまだまだ咲きそうにないと見ていたのに、驚くべき速さである。昼休みには、近くのビルに勤めるサラリーマンや靖国神社参拝の客などが、花見に出てきて千鳥ヶ淵周辺の道はエライ混雑であった。 咲きみち…

花辛夷

鎌倉大蔵幕府跡の背後の山陰、頼朝の墓に向かって右上方斜面に大江広元の墓があるが、これを整備したのは、長州藩の学者村田清風(天明三〜安政二)である。毛利家の始祖としての大江氏を尊重する態度の表れであった。村田清風がここを訪れた際に詠んだ俳句 …

里山桜

鳰(かいつぶり)水面にながす白き糞 水音の谷戸にまぶしき金鳳花 木道の谷戸の湿地やいぬふぐり 水ぬるむ谷戸に生き継ぐヨシノボリ 首とれし石仏ならぶ玉椿 透きて見ゆコナラクヌギの裸木の林に白き里山桜 おほかたは老人なりき池の辺にカメラかまへて翡翠待…

リアリティ(続)

昨日取り上げた「短歌研究」四月号の特集について疑問を呈しておく。「事実であるがリアリティがない」という言葉に矛盾を感じる、違和感があるのである。事実を詠んでいるならリアリティそのものではないか。昨日の例では、子規の「瓶にさす藤の花ぶさみじ…

リアリティ

芸術の分野で、つまり人間が創作する作品について、リアリティがあるとかないとか議論されたり批評に現れることが多い。広辞苑には、「現実。実在。実在性。迫真性。」という説明がある。芸術作品については、現実、実在という言葉は当てはまらない。何故な…

日本人の不思議

ラフカディオ・ハーンが見た明治期の日本と日本人について読むと、身につまされることがいくつも出てくる。 *非常に好奇心が強く、平気で障子の隙間から客人を大勢で交代で 見つめる。しかしそれが騒ぐでなく静かにじっと見るという。 *障子や襖があるだけ…

長興山の枝垂桜

今日は彼岸、WBCの決勝戦。すでに靖国神社の枝垂桜が咲いていたので、小田原入生田にある長興山の枝垂桜も咲く頃のはず。例年見に行っているので、様子を見に行くことにした。山桜はすでに散りはじめている。WBC決勝戦は、十一時半から始まるとのこと…

詩を経て後の短歌(2)

東京の開花宣言の基準となる靖国神社の染井吉野は今まさに咲き出る寸前の蕾の風情だが、快晴なのに今日は襟を立てるほど風が冷たい。 卒業式鳥居のしたの晴れ着かな 霊魂のやどる木蓮白きかな 高みよりざはと枝垂るる櫻かな 開花まつ庭に軍犬慰霊祭 詩から出…

明治神宮

今日は午後一時から渋谷三軒茶屋で短歌人の東京歌会がある。昼前の時間を例によって、原宿に行って明治神宮境内を散策する。三箇所にある手水舎には、月ごとに変る明治天皇の御製と昭憲皇太后の御歌が掲げられる。弥生に対応する御製は次のようである。「か…

春の和太鼓

第二十三回江ノ島春まつりが、今日と明日の二日間開催されている。今日は和太鼓ライブだけを、 といっても「琉球祭り太鼓」と「和楽会 昇」の二種類だけだが、集中して聴いた。幼い頃、広島の山中の村の祭で、祖父の膝の上で神楽太鼓に身をゆるがせていた私…

詩を経て後の短歌(1)

日帰り出張で、岡山の先の福山と横浜との間を新幹線で往復すると、いいかげん乗り物が嫌になる。おかげで前登志夫の自選歌集『非在』を一冊読む時間があった。これは、『子午線の繭』と『霊異記とを抄として編んだもの。前登志夫はもともと詩作から出発し、…

伝説的人物を詠む難しさ

「歌壇」4月号に、岩田 正の「おせんころがし」という題のテーマ詠が掲載されている。詠み方は、おせんの身になっているわけでなく、全くの第三者として感想になっている。おせんから他の入水女に思いが及び房総の町や見かけた家族の風景も詠んでいる。 安…

理知的な俳句

「俳句研究」四月号特別作品33句は、「狩」主宰・鷹羽狩行の制作で、「花鳥の世」という題。鷹羽狩行の俳句は、きわめて理知的である。うまいなあと思う反面、作り物・嘘くさい・鼻につく といった感じを受ける句もある。 うまい作品: 人界をうかがふごと…

閑吟集(続)

閑吟集の登場人物たちをリストアップすべく岩波文庫版を精査したが、あからさまな固有名詞はほとんどない。大外の重の孫三郎のみ。 山賎、遊女、海士乙女、高雄の和尚、山伏、人買ひ、船頭、塩焼の子、大外の重の孫三郎、千代鶴子、愛宕の山伏、阿波の若衆 …

紀行文の名手

小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、研ぎ澄まされた感性と華麗な文体で、紀行文の名手と言われているが、「日本海の浜辺で」という文章を読んでもそれがよくわかる。通訳がわりに伴侶となる節子を同伴しての旅であったらしいが、旅館に勤める女性などから…

春一番

天気情報によると春一番はすでに吹いたということだが、今日の砂嵐こそが春一番にふさわしい。腰越、極楽寺、長谷寺、光則寺、由比ヶ浜とわが定番の吟行コースをたどったが、なにしろ風が強かった。 ビニールの帆立てて疾る春一番 腰越や春一番の海荒るる 春…

万葉の散歩道

植物園には、万葉の草木を集めて、それらを読み込んだ万葉集の歌を書いた札を立てて散歩道としてあるところがよくある。名古屋の東山動植物園は今日来たのが二回目であるが、万葉の散歩道をたどってみた。紹介してある万葉集の歌のいくつかに返歌を作ってみ…

懐の深い表現

ついでに「短歌人」三月号掲載の小池光の作品から彼の特徴を見てみよう。表面的には決して難しくない。だが、動詞、助詞・助動詞の使い方、名詞の取り合わせなど措辞になにげない工夫がされていて、読者を立ち止まらせる謎を含んでいる。鑑賞するときに懐の…

比喩表現

「短歌人」三月号掲載の藤原龍一郎の作品から。藤原の歌には、時に難解なものがある。次のような歌はどう鑑賞すればよかろう。A 潮の香は運河の水をさかのぼり木のパレットに寒色を溶く B 陰翳としての昭和を思うかな淡紅色の蕾を過ぎて C 時間街追憶通り…

閑吟集

通勤の車中で、塚本邦雄著『君が愛せし』を読んでいて、梁塵秘抄を終わり今閑吟集の半ばである。閑吟集の序文には「尺八を友として春秋の調子を試むる折々に、歌の一節を慰み草にて、・・・・、或は早歌、或は僧侶佳句を吟ずる廊下の声、田楽、近江、大和節…

俳句における演出

午後は東京ビッグサイトで開催のセキュリティショーなどを見てきたので、少し早く帰宅できた。酒が切れていた。近くのコンビニまで出かけ、「さつま白波」を買ってきて、肉じゃがを肴に、ロンザロックを楽しんでいる。 「古志」三月号・長谷川主宰の巻頭「カ…

明治の松江

小泉八雲の『明治日本の面影』は、八雲のいくつものエッセイを集めて、日本語に訳して編集した本に編者がつけた名称だが、内容に鑑みてまことに適切であった。寝る前に布団に入って少しずつ読んでいるが、明治二十年代の出雲の風土が生き生きと描かれている…

大磯の銅像

産経歌壇・伊藤一彦選に次の歌が入っていた。ずいぶん久しぶりである。選者が交代してから、葉書を出す熱意がなくなったこともあるが。 盃に大きく息を吹きかけて投げつけにけり 厄割り石に 今日もまた大磯にいった。なんとか旧吉田茂邸の中を見てみたいのだ…

龍恋の鐘

これまで「現代の定家」と題して、度々塚本邦雄の作品について触れてきたが、実は「短歌人」の評論賞に応募するための調査ノートから抜き出したものであった。テーマは、「私にとっての塚本邦雄」である。今朝藤沢中央郵便局に寄って原稿を託した。賞を期待…

否定のもつ力

短歌表現における否定の力は、定家の有名な次の歌の鑑賞で常に言及される。 見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮 すなわち、花も紅葉もなかったという否定が、読者に否が応でも先ずはあった状況を思い描かせ、それから無い状況を思うという順…

茂吉と万葉集

「短歌現代」三月号の特集「茂吉継承のために」で、内藤 明が「茂吉と万葉集ー『赤光』からー」と題して、大変参考になる分析をしている。万葉集の換骨奪胎の例をあげている。 二句・五句の繰返し: ひた走るわが道暗ししんしんと堪へかねたるわが道くらし …